2021年2月21日日曜日

国債は返さなくても銀行は困らない

 銀行の借金を返さなくても、基本的には銀行は困らない仕組みになっています。元本を返さなくても、借り換えて利息をちゃんと払えば銀行は困りません。銀行は保有しているカネを貸しているのではなく、新たにおカネを作り出して貸しているからです。

 銀行ではなく、普通の個人や企業がおカネを貸す場合は、貸したおカネを返してもらわないと困ります。なぜでしょうか?例えばあなたが銀行から金利5%でおカネを借りているとします。別の誰かが金利10%でおカネを借りたいと言い出したらどうするか?あなたに貸しているおカネを返済してもらって、金利10%でおカネを貸しなおしたいと思うでしょう。

 ところが、銀行は自ら保有しているおカネを貸しているわけではありません。貸し出すときに新たにおカネを発行して貸します。そのため、別の誰かが金利10%でおカネを借りたいと言い出したら、新たにおカネをポンと発行して、貸し出すことができます。あなたが借りているおカネを返済してもらう必要はないのです。

 もちろん、厳密に言えば、日銀の政策金利、銀行の日銀当座預金残高によって、状況は異なります。今日の銀行制度は「準備預金制度」と呼ばれる制度によって、銀行がおかねを作り出す量に制限を加えていますので、この制限がきつい場合や、銀行の保有する日銀当座預金残高の少ない場合は、貸し出している元本を早く回収しなければ、新たにおカネを貸すことが難しくなります。しかし、現在は量的緩和政策によって、銀行の日銀当座預金にはおカネがうなるほどありますし、世の中に借り手が少ない状況なので、銀行としては、金利さえ払ってくれるなら、借金の返済を急ぐ理由はありません。銀行が欲しいのは「利息」なのですから。

 つまり、一般的な貸し借りの場合は、借金を返済しないと、貸し手は貸すおカネが不足して困りますが、銀行の場合は、おカネを作って貸すので、あまり困りません。貸すおカネが不足する心配が、ほとんどないのです。利息さえ銀行の要求通りに支払ってくれるなら、喜んで借り換えに応じてくれるでしょう。

 もちろん、あなたが破産しそうな場合は、血相を変えて取り立てに来ますがw。なぜなら、元本の回収がまったく不可能になると、銀行の帳簿では穴が開いてしまう(不良債権化)からです。一方、国債は政府が発行しているため、破産すること、つまり支払い不能になることは100%ありません(政府には通貨発行権があるから)。そのため、銀行は安心して国債を買い求めます。

 ですから、国債の場合も金利を払えば、銀行はいくらでも借り換えに応じるということです。ただし、景気が良くなると銀行は金利を釣り上げてきますので、国債の金利が上昇し、これが財政を圧迫する恐れはあります。その場合は、市中の銀行ではなく、政府(国家)の銀行である「日本銀行」に借りれば良いだけです。日銀は政府の銀行ですから、仮に日銀から、かなりの高利で国債を借り換えたとしても、その金利は日銀の利益として政府の国庫に戻ってきますので、実質的な財政の負担増加はありません。

 国債は返さなくても良いのです。踏み倒すはまずいですが、借り換えれば何の問題もありません。さらに、日銀から借りれば、利息の負担すらありません。だから、国債の発行によって、将来世代の負担が増えることは、まったくあり得ないのです。


2021年2月14日日曜日

そもそも現代社会は借金で成り立っている

 先日も、財務大臣が「将来世代の借金を増やすのか」と財政出動に否定的な発言をしていたが、こんなもの、ちゃんちゃらおかしいの一言である。なぜなら、現代社会は借金で成り立っているからである。

 現代社会が借金で成り立っていることは、以前から一部の識者の間では常識だったが、最近はMMT(現代貨幣理論)のおかげで、その事実が広く国民に浸透しつつある。別に陰謀論でもなんでもない、金融システムが、そういう制度設計になっているのである。事実から目を逸らさず、真剣に向き合えば、すべての国民が「現代社会は借金で成り立っている」ことが理解できる。

 「現代社会は借金で成り立っている」とはどういう事か?世の中のカネは(ほぼ)すべてが銀行からの借金によって作られているのである。銀行が誰かにおカネを貸し出す際に、新たに預金通貨を発行し、それを貸し出すことで世の中のおカネが増えるのである。逆に言えば、誰かが銀行から借金を負い続けなければ、世の中のおカネが(ほぼ)すべて消えてなくなり、経済が崩壊するのである。

 財務大臣の上げ足を取るなら、将来世代の借金を増やすのはいけないどころか「銀行から借金をしないと、将来世代の経済が崩壊する」のである。耳を疑うかも知れないが、現代の金融システムをしっかり勉強すれば、あたりまえの話である。無知とは恐ろしいものであり、というか、無知であるがゆえに、「財政再建しなければならない」などと考え、自分の足元をぶち壊して平気でいられるのである。

 もちろん、ここには「誰が借金すべきか」という選択肢が存在する。マクロにおける経済主体は「政府」「家計」「企業」「海外」があり、必ずしも政府が借金しなければならないわけではない。このうちのどれか(複数選択可能)が借金を負えば経済は成り立つのである。

 バブル崩壊前の時代には、「企業」が銀行から巨額の借金を負っていた。そのため世の中にはおカネが溢れ、非常に景気が良かった。ところが、バブル崩壊後は、多くの企業がバブル期に借りた借金の返済に苦しんだため、借金をしたがらなくなった。

 そうなると景気は一向に回復せず、やむを得ず、政府が銀行から借金をして(国債を市中消化して)、財政出動を行った。ところが、国債の発行残高がどんどん増えるものだから、こんどは財務省がすっかりビビッてしまい、借金はしたくない、財政再建すると言い出した。

 「企業」も「政府」も借金をしたがらないなら、家計が借金するしかない。しかし家計が借金を増やすとなると、それこそ、直接的な意味で「将来世代の借金」が増えることになる。家計が借金漬け、ローン地獄になることを意味する。

 つまり、消去法によっても、政府が銀行から借金を増やさなければならないのである。そして、政府が借金を増やすことこそ、最も合理的である。なぜなら、企業や家計はおカネを発行することができないために、収入以上の借金を抱えると破綻してしまうが、国家(=政府=日本銀行)は通貨を発行できるため、破綻することはないからである。

企業も家計も破綻リスクがあるために借金を増やせないが、破綻リスクのない政府は借金を増やすことができる。

 現代社会は借金によって成り立っている。世の中から借金を無くすれば、経済が崩壊する。だから、企業も家計も借金を増やせない状況にあるならば、政府が借金を増やすのは、当然なのである。そんなに政府の借金が嫌なら、中央銀行制度に代わって、政府通貨制度(ソブリンマネー制)を導入しなければならない。政府通貨制度にすれば、誰の借金も増やすことなく、世の中のおカネを増やすことができるからである。


2021年2月6日土曜日

自己責任論は〇〇の一つ覚え

  性懲りもなく登場してくる、いわゆる「自己責任論者」であるが、彼らの主張は「それは自己責任だ」の一点張りで、多面的な分析も考察もない。ただ単に「自分で解決しろ」「社会のせいにするな」「お前の能力が低いだけだ」「努力が足りない」というだけで、考え方にまったく深みが無く、まさに〇〇の一つ覚えのフレーズを繰り返すだけである。

 なぜ彼らが短絡的であるのか?その理由は簡単である。彼らの発言の動機の多くは、社会をより良くするためではなく、自分の欲求不満状態を解消するために、救いを求める弱者を非難し、弱者を困らせることで快感を得ることにあるからだ。いじめることが目的なのだ。だから、深い考えなどない。

 そもそも、なぜ「自己責任だ」というワンフレーズの繰り返しが通用するのか?それは自己責任という考えが正しいからではなく、現在の社会が自己責任社会であるからだ。つまり、競争原理の支配する資本主義・市場経済であるからだ。もし、社会経済システムが共生社会に変われば、「自己責任」というフレーズは通用しないどころか、とんでも論になるのである。自己責任論者は「社会のせいにするな」というが、まさに、社会がそうだからこそ、自己責任が通用するにすぎないのだ。

そして、自己責任社会とは無政府状態であり、彼らは無政府主義者でもある。

 なぜなら、自己責任においては、すべては自分の責任であり、権利が法によって守られる必要が無いからだ。あらゆる権利概念、例えば「所有権」も存在しない。所有権は所有物を法によって守られるが、自己責任社会では、所有物を守るのは自分の責任であって、強盗や詐欺によって所有物を奪われたとしても、それは自己責任である。武力をもって守れない自分が悪いのである。

 もし、自己責任社会が理想社会であると考えているなら、その理由を示すべきだが、明確な理由は見たことが無い。もし自己責任社会が理想であるなら、多様性とか、共生社会に対しても、強く否定すべきであろう。自己責任なのだから、他人を助ける必要もない。

 多少なりとも理性的であれば理解できることだが、人工知能やロボットが高度に進化すると、やがて大量の労働者が失業することになる。労働市場では労働の価値が非常に低くなるので、賃金も極めて安くなる。その一方で、ごく一部の労働者や資本家が富を独占するようになる。これを「自己責任だ」と言って、自助努力にまかせていても、まったく解決しない。量子コンピュータの人工知能や、コストが人間の10分の一で24時間で働くロボットに勝てる奴がいるだろうか?まだ完全にそうなってはいないが、今日の社会は格差が拡大し、賃金も伸びない。すでに、そうした状況になりつつあるのだ。

 いわゆる自己責任論者は、もう少し頭を使った方が良い。


2021年2月2日火曜日

財政再建は、もはや100%不可能だ

 新型コロナ感染対策のために、日本の財政赤字はさらに拡大する事態となっているなか、財務省とその御用マスコミの多くが、さかんに「財政危機」をあおり、コロナ対策への財政出動を抑えようとやっきになっているように見受けられる。経済優先のGOTOキャンペーンあるいは東京オリンピックの推進に固執し、飲食店等への休業補償の拡大に後ろ向きであったり、給付金の支給に否定的であることからも明白だ。財務大臣からも「後世の借金をさらに増やすのか」発言も飛び出している。だが、断言しておこう。

「財政再建は、もはや100%不可能である」

 日本の危機はコロナ感染だけに終わるものではない。近い将来、確実に「関東大震災」「南海トラフ地震」が発生する。その被害は甚大となり、コロナとは比較にならないほど大規模な財政出動が求められることになる。財政再建はおろか、大震災が発生すれば、国債発行残高が2倍に拡大しても不思議ではない。さらに、場合によっては、増長する中国共産党による尖閣諸島への軍事侵略もあり得る状況だ。国家の危機に対して、今後ますます財政出動が必要となる、つまり、もはや財政再建は絶対に不可能なのである。それが「現実」だ。現実に目を背けてはならない。

 財務省は、あたかも「財政を再建しなければ国が滅びる」がごとくに吹聴しているが、まったくそんなことはない。むしろ、大災害の際に財政出動をケチって経済やインフラの維持を疎かにすれば、それこそが、日本国を滅亡へ導くことになる。極端に言えば、国債は「たかが借金」であり、最悪の場合、仮に踏み倒したところで、経済は一時的に混乱するが、やがて元に戻る。カネの問題は「帳尻の問題にすぎない」ので、リセットすれば再スタートが可能だ(ご破算に願いましてはw)。しかし、経済やインフラが破壊されると、再起不能になる恐れが十分にある。供給力が永久に棄損すれば、「財の生産そのものの問題」なので、いくら帳尻を合わせたところで、取り返しが付かない。

 財政再建の害悪を人間に例えることができる。すなわち、たとえ破産したとしても、破産で死ぬ人はいない。しかし、カネを惜しんで我慢したり、無理をして体を壊してしまえば、死んでしまうのである。

 日本には、まだまだ多くの危機が差し迫っている。にもかかわらず、この期に及んで、まだ財政再建をもくろむというのは、非現実的で、無責任な妄想に過ぎない。頭がお花畑なのである。財政再建は、ただちにやめなければならない。

 そして、「財政再建は100%不可能」なのであるから、財政再建をしない=国債の発行残高が増え続けるという前提で、物事を考えなければならないのである。つまり、国債の発行残高が増え続ける中で、経済が支障なく機能するような政策を行うことが重要である。現実に即した柔軟な発想が不可欠なのだ。これが令和の時代の「新常態(ニューノーマル)」である。アフターコロナの時代は、国債の発行残高が増え続けることを、常識としなければならない。そうしなければ、今後に日本を襲うであろう危機に対して、日本は対応できないのである。