2019年7月12日金曜日

「生活第一」の保守政党が必要

なぜか「生活第一」を打ち出す保守政党(右派政党)がない。経済政策を前面に押し出す保守政党がない。これでは安倍政権に勝てるはずがない。

安倍政権にとって脅威となるのは、方向性が逆を向いている左派ではなく、保守傾向をもちながら、無党派層を大量に引き込むだけの魅力をもった「大衆政党」の登場だろう。大衆政党の必要条件は、やはり「国民の生活第一」のはず、あるいは経済政策にあるはずだ。

ところが、生活第一を打ち出す保守政党は出てこない。伝統的に左派政党は、「生活第一」の考えを掲げてきたが、保守政党として、生活第一を掲げる政党が新たに出てきた記憶は無い。しかし、生活第一が、本質的に左派の専売であるはずがないのである。

そもそも、政権を担うべき政党とは、常に「国民の幸福」を追求するための政党であって、何らかのイデオロギーに突き進んで、思想と心中するための政党ではない。そんな政党があるとすれば、それはほとんど「宗教団体」であろう。国民政党は、国民の幸福、つまり生活第一が、その最大の目的なのである。

そして、そのために、様々な内外の政策、あるいは権利や憲法のような思想があるのであって、その逆、つまり政策、権利、憲法のために、国民の生活が、なおざりにされることは、あり得ない。それは、何もここで私が力説するまでもなく、おそらく、多くの無党派層に共通した認識ではないかと思うのです。

天皇制やら自主憲法やら、国防が重要でないとは言わないが、少なくとも、国民の多くを占める無党派層にとっては、優先事項とは思えない。あくまで、それは手段の一つであって、目的ではない。そこを勘違いすると、単なる自己満足の少数政党で終わってしまう。だから、保守政党(右派政党)の目指す方向性も、あくまで「国民の生活が第一」であって、そこを原点としなければならない。国民生活のための天皇制であり、自主憲法であり、国防である。国民生活に役立たない制度はいらない。

つまり、国民生活にとって最も重要な政策は「経済政策」であり、すべての政党にとって、経済政策は常に、最大の目玉政策であるはずだ。

安倍政権の経済政策には一定の効果があったし、そうした実績もあり、安倍政権は長期的に高い支持率を維持してきた。しかし、安倍政権の経済政策は、ほとんど「金融緩和」だけと言ってよい。財政出動の額が大幅に増額されたわけでもなく、規制緩和もそれほど進んでいない。ほとんど金融緩和の効果に依存している。だから、安倍政権の上をいく政策を打ち出すことは、十分に可能と考えられる。

そこにいち早く目をつけたのが、れいわ新選組だろう。しかし、れいわ新選組は左派政党であり、そこに相容れない人たちが、多く存在することは間違いない。そうした人たちの受け皿として、保守系の生活第一の政党、経済政策第一の政党があっても不思議はないと思う。

現在の安倍政権は、左派がしきりに騒ぐので、右派系、あるいは保守系だと思われているかも知れないが、実際にはそうではなく、「拝金主義政権」である。移民政策を推進し、グローバル資本家のために市場を開放し、まやかしの生産性を唱えて、国民を容赦ない競争にさらしておきながら、満足な分配政策さえ行っていないのだ。

もちろん、生活第一の保守政党が登場したからと言って、いきなり、無党派層がなだれをうって支持に回る、ということはないだろう。しかし、米国にしろ欧州にしろ、既成政党に代わる新たな政党が台頭してきており、日本においても、そうした動きの受け皿となるべき政党が必要とされるに違いない。

保守と言うものは、単に、昔ながらの仕組みを延々と未来にむかって維持し続ける考え方ではないだろう。そもそも、そんな政党は消え行くのみである。昔ながらの価値観の、何が大切で、何が受け継がれるべきであるか、それ以外の分野においては、文化やテクノロジーの進化に沿って柔軟に変化できる「進化する保守」が求められるのではないだろうか。

国民の生活を第一に考える保守政党が、安倍政権、自民党政権を打ち倒し、日本に新しい風を吹き込む原動力になることを期待しています。