アリと言えば冬を越すために食料を貯め込む、という印象がありますね。アリの貯蓄。ヒトも老後に備えて貯蓄するわけですが、この両者の貯蓄には本質的に大きな違いがあります。それは貯め込むものが「財かカネか」の違いです。
アリの蓄えは食料です、現物ですね。いわば消費「財」です。モノとして貯蓄するわけです。これは貯蓄の最も原初的な形態だと思います。必要な食料を溜め込み、それを直接に消費することで生活できます。これらの消費財は溜め込むときにすでに世の中に存在しているものを利用します。いまあるものを、手元に溜め込んでいます。
ヒトの蓄えはもっぱらカネです。これは「財」ではありません。何しろカネを食べたり飲んだりできませんから。あくまでも、食料などの消費財が必要になったその時に、カネとモノを交換することで手に入れるわけです。つまり、財を溜め込んでいるのではありません。では何が溜め込まれているのか?現在、世の中には存在しない、未来において生産されるはずの何かと交換できるという「約束」です。これは人間社会に独特な、不思議な貯蓄です。
アリの貯蓄は現物ですから、確実です。腐敗するので長期保存の難しいものもあるでしょうが、使用価値そのものを保存するので確実に価値が保存されます。そして貯蓄するときに、食料がたくさんあればよりたくさんの貯蓄が出来ます。すなわち、今、たくさん生産することが重要です。
ヒトの貯蓄はカネですから、確実ではありません。もし将来に国の経済が破綻してしていれば、何も貯蓄しなかった場合と同じになります。使用価値ではなく交換の約束を貯めているだけだからです。そして、貯蓄をする際には、世の中により多くの財があっても無意味です。貯蓄するときに世の中の材がどれほど豊富でも貯蓄とは何の関係も無く、得られる財の質と量は将来に生産されるであろう財によって決まります。
アリの貯蓄は現物を蓄えるので、誰かの蓄えが多いからといって他のアリが困ることはありません。財は毎年のように生産されるため、もし消費しなかった財を毎年のように溜め込んでいっても、世の中の財が足りなくなることはありません。
ヒトの貯蓄はカネですから、誰かがたくさん蓄えてしまうと、他の誰かが困ることになります。カネは財のように毎年生産されるわけではなく、世の中のカネの量はある程度決まっています。そのため、誰かがおカネを溜め込んでしまうと、別の誰かに行き渡るおカネがなくなってしまいます。
つまり、貯蓄の意味がまったく違います。
ところで、もし、ヒトがアリのような貯蓄をしたならば、つまりカネではなくモノ、財で貯蓄するようになれば、世の中はずいぶんと違った世界になるでしょうね。でも、その方が本質的には健全かも知れません。少なくとも、世の中をおカネが回らなくなるといった心配はありません。
その場合における貯蓄の有効性は、いま、生産を最大化することで実現されるでしょうね。