ベーシックインカムを実施すると働く人が減ると騒がれています。しかし働く人が減れば労働の希少性が高まり、労働の価値が高まります。つまり「労働する人が感謝される社会になる」と思われます。
働かなければ生活できない社会では、労働するのが当然ですから、労働に対する感謝の気持ちが弱まります。すると「安い賃金で働かせても当たり前だ」としか思わない経営者が出てきます。「ブラックのどこが悪い、オレが雇わなきゃお前は死ぬしかないんだ」なんて言うヤツも現れます。
また、一般の消費者の中にも「オレは客だから神様なんだ」と勘違いする人が出てきます。モンスター化し、コンビニの店員に土下座を強要したり、宅配が遅れたと言って集配所にチェーンソーを持って来て暴れ、おまけにツイッターにそれら映像を投稿して自慢するヤツまで現れます。
労働する人に対する感謝の気持ちが欠落している社会。カネ貰ってるんだから、労働するのは当たり前だろ、苦労するのは当たり前だろ、としか思わない社会。これは「労働に対する冒涜」であるとも言えるでしょう。
もし、ベーシックインカムが実現したならば、労働しなくとも所得が保障されるのですから、労働者の立場から言えば、ブラックな経営者やモンスターの客に頭を下げて働く必要はありません。そんな連中のために働く必要はまったくないのです。
労働者は、労働に感謝して敬うことのできる経営者と共に働くことが出来ます。そのような場合は、無償での労働も苦ではないでしょう。また、お客様との立場も逆転します。労働者が客を選ぶ立場になり、横柄な客はサービスを受ける資格を失います。感謝の気持ちを持たない客は客じゃない。感謝してくれる人のために働くのです。そういう社会になるわけです。
労働者はカネのために働くのではなく、人の役に立ち、人から感謝されるために働くようになり、顧客はカネを払っているんだからあたりまえではなく、サービスを提供する人に感謝するようになる。そのような社会では労働は希少であり、労働は尊いものであり、労働は尊敬される行動になるでしょう。