2022年6月12日日曜日

1)経済の原点は「財の生産」にある

 このところ、20年ぶりの円安やインフレを受けて世間は大騒ぎです。新聞マスコミには、円安、インフレ、金融緩和、財政再建、そういう話題があふれ、やれ円の価値が損なわれたの、日本は投げ売りされるだの、と大騒ぎしています。その一方で、金融政策にしろ財政再建にしろ、主張する内容がエコノミストや政治家によって異なり、ひどい場合には主張の内容が正反対だったりしますから、おそらく大部分の国民にとっては、何が正しいのか、何を根拠に正否を判断すればよいのか、さっぱり分からないのではないでしょうか。


 しかし、落ち着いて考えてみましょう。財政再建やインフレといった経済の話題の多くは、おカネにかかわる問題ですが、おカネにかかわることよりも、もっと本質的で重要な要素があります。それは「財(モノやサービス)」です。というのも、人々にとって本当に重要な要素はおカネではなく、モノやサービスといった「財」だからです。なぜなら、おカネがいくらあっても、衣食住を満たすための食料や衣類、住居、あるいは電気水道、医療サービスなどがなければ生きていけないからです。だから、本当の意味で必要なのはおカネではなく財なのです。


 日本国民が豊かに生活するために必要な要素は「財(モノやサービス)」です。ここが経済を考えるうえでのすべての原点になります。そこを忘れて、金融政策だの財政再建だのという、おカネに関わる様々な現象をいくら論じても、おカネの理屈に振り回されて、頭が混乱してしまうだけです。頭が混乱したときは、この原則に戻って「財(モノやサービス)」から考えを整理すると、経済を理解しやすくなります。


 結論を言えば、国民全体が豊かに生活するために必要十分な財を生産できれば、すべての国民が豊かになれます。たとえば国民全体で100の財が必要であれば、100の財が生産できれば、国民は豊かになるわけです。本質的にはそういうことなので、財政がどうなろうと、物価がどうなろうと「本質的には」関係ないのです。そんな事は当たり前ですが、多くのマスコミや有識者はそれをスカッと忘れています。そして、やれ金融政策だの財政再建だのと騒ぎ、自ら泥沼のようなややこしい話に飲まれてゆきます。それでは問題解決の正しい方向性を見出すことはできません。日本国民が豊かに生活するために必要な要素は「財(モノやサービス)」なのです。そこが原点です。すると、方向性がすっきりと見えてくるのです。


 ただし、財の生産が十分に行われたとしても、貧困問題が解決しないことはあります。それは財政や物価、円安円高が原因なのではなく、「所得格差」が原因です。どんなに財の生産が増えても、それらの財を一部の国民が独占してしまえば、貧困問題は永遠に解決しません。そして、仮に財政再建をして、物価を下げて、円安を解消したところで、貧困問題は解決しません。それらによって財の生産が増えるわけでもなければ、所得格差を解消するわけでもないからです。本質はそこにはありません。国民が等しく豊かになるには、財の生産と同時に「適切な分配政策」も重要になります。より多くの財を生産し、より広く国民全体に行き渡らせることが日本を豊かにする本質なのです。


 もちろん、金融政策や財政再建がどうでもよいとは言いません。しかし、あくまで財を生産することが最重要であり、財政再建や金融政策はその目的に沿って考え直したり、システムや制度を再設計すべき「二義的な問題」なのです。なぜなら、財政再建や金融政策などの政策が、必ずしも財の生産を増やすとは限らないからです。良かれと思って行うことが、むしろ財の生産を阻害することで、かえって国民生活を貧しくすることもあり得るのです。財政再建の問題は、まさにそこにあります。財の生産を原点として、それらを再評価しなければなりません。しかし、新聞マスコミに登場する記事の多くはこうした視点に欠けており、国民世論を誤った方向へ導くものが少なくありません。


 何度も強調しますが、日本国民が豊かに生活するために必要な要素は「財(モノやサービス)」なのです。ここがすべての原点になります。そしてあらゆる経済政策は、財の生産を増やし、国民に十分に行き渡らせるシステムを構築することにあるのです。そのためにこそ金融政策や財政政策、税制、財政再建は行われるものです。


 とはいえ、まだピンと来ないかも知れません。次回から、もう少し具体的に考えてみましょう。