2022年5月22日日曜日

円安・円高と日本の価値

このところの円安で「日本が売られている」「日本の価値がー」と騒ぐ人が散見されます。しかし円安なら日本の価値が低いのか、円高なら日本の価値が高いのか、よく考えるとそんな単純な問題ではないことがわかるのです。

 そもそも、為替市場で円安・円高を決めるのはどのような要因があるのでしょうか。様々に考えられますが、主要ないくつかを挙げたいと思います。

①金利の差

②通貨供給率の差

③貿易収支


①金利の差

 今回の騒ぎになってるのは、主にこれです。世界的に需要が回復してインフレ率が亢進しており、各国が政策金利の引き上げに踏み切るなか、日本だけは需要の回復が不十分なために、日銀が金融緩和の維持を決めている。世界の為替ギャンブラーにとっては、金利が高い方が儲かるので、当然ながら円売り・ドル買いをすることになる。

 すなわち、これは単に通貨取引で「儲かる・儲からない」というギャンブラーの下心が反映されたものであり、「日本の価値が低くなったから円が売られている」のではない。ところが、ドサクサに紛れて、円安になったから、日本の価値が低くなったというような非論理的なフェイクを垂れ流す評論家や一般人が少なからず存在するようである。では逆に、日銀が金利を引き上げて円高になったなら、その瞬間に日本の価値が上がるのか?馬鹿げた話である。つまり、金利の差による円高・円安は日本の価値と関係ない。よって、日銀が金利を上げて円を高く維持しても、日本の価値にとって意味はない。金融緩和の継続によって不況を脱し、経済を強くすることが、日本の価値を高めることとなる。

 とはいえ、円安の影響で輸入物価が押し上げられ、消費者の負担が増加することは確かである。ゆえに、インフレの影響を強く受ける低所得層を中心とする、生活支援給付金を支給することで、国民の生活を支援する必要があり、そのために財政出動を惜しむべきではない。

②通貨供給率の差

 おカネといえども、市場(為替市場)で取引される以上は、量が多い通貨は安くなり、量が少ない通貨は高くなる。この「通貨の量」は、日本の価値とは直接に関係しない。なぜなら、経済力と関係なく、おカネは刷ろうと思えば刷れるからである。おカネを刷ったからといって、日本の価値が下がるわけではないし、おカネを刷らなかったら日本の価値が上がるわけではない。ただし、円通貨の量が増えれば、相対的に他の通貨より円の方が安くなるのは当たり前のことである。これは通貨の価値であって、日本の価値ではない。

 では、日本の円通貨の発行量は他の先進国と比べてどうだったのか?実は、バブル崩壊後、失われた20年の間、他の先進国よりはるかにおカネを発行してこなかったのである。日本はカネを刷らない。つまり、円高になる条件を満たしている。円高であるはずだったその当時の為替レートが120円程度だったとすると、仮に他の先進国と同じ程度のおカネを供給していたなら、もっと円安になっていたはず、つまり、130円や140円といった水準になっていたはずである。それが本当の円の実力と言える。

 つまり、バブル崩壊後の失われた20年における120円というレートは、カネの発行をケチることで通貨の価値を高く維持してきた結果に過ぎない。円通貨の本当の価値を通貨のレートに反映したいなら、当然ながら、他の先進国と同じだけのおカネを供給しなければならないからだ。従って、仮に日銀が金利を引き上げたとしても、他の先進国に足並みをそろえて通貨供給を行うならば、1ドル130円、140円といった相場になることも十分にあり得ると考えられる。

 すなわち、1ドル=120円という円相場は、高すぎたのである。もっと早期に円安に転じていれば、産業の海外移転にもブレーキがかかり、今日のように産業が空洞化して、低賃金のサービス業しか残されていない日本とは別の姿になっていたかもしれないのである。

③貿易収支

 おカネと言えども、その価格は市場(為替市場)における需要と供給の関係で決まる。買いたい人が多い通貨高くなり、買いたい人が少ない通貨は安くなる。金利が為替に影響を及ぼすのもそのためだ。しかし、金利による通貨の需要はどちらかといえば「投機的な需要」である。通貨取引で儲けるギャンブルだ。一方で通貨には「実需」がある。例えば輸出企業がアメリカに輸出して代金をドルで受け取った場合、国内の決済などに利用するためには円が必要なので、そのドルを円と交換する必要が生じる。そのため、為替市場でドルを売って円を買うことになる。従って、輸出が大きければ為替市場では円を買う需要が高まって、円高となる。たとえばバブル経済の頃の日本は莫大な貿易黒字を出しており、そのために円高圧力が常に働いていた。

 このように、財の生産と貿易に伴って発生する通貨の需要は「実需」と呼ばれる。こうした円の実需によって生じる円高は、日本の供給力、輸出競争力などを反映するものであるため、日本の価値を反映したものであると言える。逆に日本の供給力が低く、輸出競争力も低ければ、円の実需は低くなり、円安となる。このような円安は、あまり望ましいものではない。

 一方、「通貨安戦争」という言葉があるが、それは、自国通貨の安い方が自国経済にとって有利であることから、各国が自国通貨を安く誘導しようとして争う状態を指して「通貨安戦争」と呼ばれる。このことからわかるように、円安は自国経済に有利であることは明らかである。さかんに「通貨安戦争」という言葉を記事に書いてきたマスコミは、このことは綺麗さっぱり忘れて、今や「悪い円安」を連呼する始末である。所詮は、ご都合主義だ。

 為替というのは、ある意味で「ビルトインスタビライザー」のような働きをしていると考えられる。つまり、輸出競争力が高くなると輸出過剰となり、円高を招くが、円高になると輸出競争力が低下して輸出が減る。ゆえに、為替を意図的に操作する必要はないのだか、それはあくまでも「他の先進国と同じ程度に通貨を供給し、同じように金融政策を実行する」ことが前提となる。つまり、ここでは①と②を他国と同じにしなければならない。これまでの日本はこれが欠けていた。バブル後の通貨供給は他国より少なく、リーマンショック後の金融緩和は他国より遅れ、そのせいで金利の引き上げも遅れている。これでは、まともにビルトインスタビライザーが働くはずがない。

 このように、円の価値は「日本の価値に関係する場合」と「日本の価値に関係しない場合」があり、それらを明確に分けて考えるだけの分析力がなければ、単に「円高は良い」「円安は悪い」という考え方しかできないのである。そして、マスコミはその典型と言える。

 現在の円安は金利差によるものであり、大騒ぎするまでもない。日本の国内需要が金利を引き上げるほど回復すれば、金利は引きあげるのである。通貨の投機需要などどうでもよい。問題は、真の意味での「日本の価値」が低下することであり、それは「日本の供給力が低下すること」である。円安は日本の輸出競争力を高め、産業の空洞化に歯止めをかけ、あるいは日本国内への産業回帰にもつながるものであり、日本の供給力を高めることにつながる。円通貨が安いにもかかわらず、ジャイアン・アメリカwあたりから「為替操作国」とか言われないのだから、むしろ幸いな話なのである。