2022年7月18日月曜日

4)社会保障も「財の生産」が解決

 社会保障の問題を語るとき、新聞マスコミの記事は、かならず財源や税金の話になります。しかし、財源や税金では社会保障の問題はまったく解決できません。社会保障の問題も、その本質は「財の生産」の問題だからです。

 たとえば、日本の全国民が豊かに生活するために必要な財の量が100だったとすると、たとえどれほど高齢化が進んで働く人の数が減ったとしても、日本全体で100の財が生産できれば、日本国民が貧しくなることはありません。ところが、そんな当たり前の話が新聞やテレビのようなマスコミには出てきません。出てくるのは、ひたすら「おカネ」の話ばかりです。つまり、税金や財源です。しかし国民の生活を支えるのは、おカネではなく生活必需品などの「財」であり、おカネがいくらあっても、財源が確保されても、生活に必要な財が無ければ、社会保障制度はなりたたくなります。本当に新聞やテレビの愚かさには驚かされるものがあります。


 ただし、高齢化が進んで働く人が少なくなれば、それまで70人で100の財を生産していたところ、50人で生産しなければならなくなることは間違いありません。つまり、一人当たりの生産量を増やさねばならない、そのことが、働く人の負担を増やすと考えられます。しかし、これは短絡的な結論です。なぜなら、生産技術の向上や生産設備の増加という要素をまったく無視しているからです。


 テクノロジーは進み続けており、人工知能やロボット、あるいは完全自動生産工場という、人手を必要としない生産手段がどんどん増えてきています。つまり、働く人が20人減少しても、それが機械で代替されるなら、財の生産量が減ることはありません。すなわち、社会保障を維持拡大するためには、財源や税制ではなく、技術開発投資や生産設備投資こそ最重要であることが理解できます。しかしながら、そうした視点から社会保障の問題に切り込む新聞マスコミを見たことがありません。すべからく「税制」「年金支給額の減額」といった「おカネの話」に終始しています。恐るべき愚かさです。


 「高齢化社会では現役世代の負担が大きくなるので、現役世代の負担を減らさねばならない」と新聞マスコミは主張しますが、それは前提となるシステムが間違っていることが原因です。本質的に言えば、生産の機械化によって、財の生産は維持、拡大が可能です。しかし、所得税にしろ消費税にしろ、現在の税の多くは「労働者が支払う」=「現役世代が払う」ことになっているため、税収を維持するためには、労働者の数が減ると、労働者の税率を上げなければならないのです。一方、生産の機械化が進んでも、労働者の賃金が同じ率だけ増えるわけではないため、必然的に税収は減り続け、働く人に課税する方式の財源は破綻します。つまり、この財源の考え方が間違っているのです。すなわち、労働者に対する課税のみで社会保障を維持することは理論的に不可能です。


 財源が持続可能であるということは、政府が支出したおカネの全額を世の中から回収しなければなりません。これはプライマリーバランスと言います。しかし、政府が支出したおカネは社会の様々なところへ流れてゆき、使われたり、ため込まれたりしていますから、これを消費税のような単純な一つの税制で公平に回収することは不可能です。様々なところへ流れ、使われたり貯めこまれたりするのですから、税として回収する場合も、それに応じた制度設計がなされなければなりません。消費税のみならず、所得税、法人税、金融資産課税など幅広いシステムが必要です。


 また、資本主義のシステムでは、おカネは資本家・富裕層に集まる仕組みになっていますので、政府の支出したおカネの多くは、そうした資本家・富裕層に集まります。財源を持続可能なものにするには、そうした資本家・富裕層から、ことごとくおカネを回収しなければなりません。しかし、資本主義のシステムにおいては、おカネを増やすことが経済活動の主要な動機となっているため、資本家・富裕層の稼いだお金をことごとく吸い上げると、資本主義のシステムが働かなくなるでしょう。すなわち、政府が支出したおカネをすべて回収するのは(プライマリーバランスは)、間違いなのです。ですから、資本主義のシステムである以上は、政府の財政は常に赤字でなければならず、その赤字は通貨発行によって補填されなければなりません。そこで発行された通貨は、資本家・富裕層の貯蓄になるだけでなく、国民の貯蓄にもなるからです。


 いずれにしろ、社会保障制度の持続可能性にとって最も重要なことは「財の生産」であり、少子化に伴う労働人口の減少をカバーするための技術開発投資や設備投資なのです。それさえ十分に対応できるのであれば、財源として足りない分はおカネを発行して配ればいいだけなのです。