2021年7月21日水曜日

縄文の栗林とベーシックインカムの共通性

  ベーシックインカムは縄文時代の、三内丸山遺跡にあったという広大な栗林と同じようなものだと思うことがあります。どういうことか。

 縄文時代、三内丸山遺跡では、人々が何世代にも渡って集落の近くに栗の木を植え、広大な栗の林を形成していたといいます。何世代にも渡って人々が積み上げてきた「資産」のようなものです。この資産は集落のすべての人の共有財産です。しかも、ほとんど労働を必要とせず、放置していても勝手に栗の実が大量に収穫できるわけです。もちろん、まったく労働が必要ないわけではありませんが、稲作のような手間は必要なかったのではないかと思います。これは考古学的に正確な話ではなく、あくまでも比喩のための話ですが。

 なぜ栗林は個人の所有物ではないのか?稲作のように、限られた場所で集中的に作業を繰り返さなければ収穫できないわけではないからです。稲作のような「人手によって作られる」ものは、作った人がその権利を有したいと考えるでしょう。しかし、栗の実は、ある意味、ほったらかしでも勝手に実るわけです。人間は拾って食べるだけ。しかも、人々が生活する上で十分な量が収穫されるのなら、喧嘩して奪い合ったり、「この栗の木はおれの木だ」と必死に独占権を主張する必要はありません。

 それに、そもそも栗の林は、何世代にも渡って受け継がれてきますから、例えば誰かが栗を植えたとしても、世代を超えるうちに誰が植えたかなど忘れられてしまうでしょう。誰が植えたか(所有権)など、どうでも良いのです。自然に実をつける、広大な栗林という「資産」が、すべての人の生活の基礎をささえてくれるのです。誰が栗林を所有するかではなく、栗林がすべての人々の生活を支えてくれる、それこそが最も重要な事です。

 では、栗の林があるから、人間は怠惰になって、何もしなくなるのか?そんな話はありません。生活のベースとなる栗の実が確保されたとしても、人々は共同で狩りをしてその獲物を互いに分配したり(分配経済)、あるいは自分一人で生活に役立つ土器や石器のような道具を作って、他の個人と交換し合ったり(交換経済)、自由に活動するわけです。ただし、栗の林はいつも豊かに実り、人々の生活を支えてくれるのです。

 しかし時代は流れ、すべての資産が誰かに所有される時代になると、そんな生活は夢のような話になってしまいました。確かに、生産効率から言えば、生産性の高い生産主体に資本を所有させたほうが、より少ない資本でより多くの成果物を得ることができますので、生産の総量としてはより多くなります。しかし、すべての人々を満足させるための分配の仕組みが確立されていないため、争いが絶えることはありません。そして、人工知能やロボットのような「完全自動生産機械」が急速に進化しつつある現代、曲がりなりにも分配のシステムとして機能してきた「労働市場」「賃金(労働の代価)」という考え方は、崩壊に向かいつつあります。

 こうしたなかで、再び「縄文の栗林」の考え方が重要視されるべきではないかと思われるのです。縄文への回帰です。それは決して悪いものではないはずです。人々の生活は、いつも栗林によって守られるのです。栗林は太陽や大地の恵みによって、人手を要することなく多くの実りをもたらし、すべての人々の生活を支えます。一方、人工知能やロボットも、人手を要することなく多くの財を生産することができますので、すべての人々の生活を支えることができるはずです。遠い将来の話ではありません。実際、すでに機械が私たちの生活の大部分を支えていると言っても過言ではありません。すでに、そういう時代に踏み込んでいるのです。

 では、人工知能やロボットは誰のものなのか?人工知能もロボットも、個人あるいは企業が、まったくのゼロから作り出したものではありません。すべての発明も技術も、過去の多くの先人たちの残してくれた、知的資産あるいは社会的な資産の蓄積を利用する形で成り立っています。それは、縄文の栗林のように、昔の人が植えた栗の木が代々引き継がれ、誰が植えたのか、もはやわからない栗の木が、土台となっているのと同じです。ですから、確かに人工知能もロボットも、それを直接に発明した人々の努力の成果ですが、それと同時に、先人たちを含め、私たち人類の共有資産の一部でもあるのです。

 そして、人工知能やロボットの進化によって、人間がその共有資産の形成のために費やす労働・努力の度合いはますます小さくなるでしょう。すなわち、もはや、誰の努力の成果であるかを主張することすら、バカバカしい状態になります。それは、ほとんど「大自然の恵み」と同じようになるからです。究極に進化した自動生産システムは、太陽の絶えることないエネルギーを利用し、人々の生活のための財を生産し、不要になった廃品を回収し、リサイクルして、再び太陽のエネルギーを利用して人々の生活を支える財を生産する。これは自然界における物質循環と何ら変わることはありません。

 もちろん、明日からそんな社会になるわけではありません。しかし、最終的にそうなるのであれば、可能な限りのスピードで、今から、それに向かって変化すべきだと考えても何ら不思議ではありません。明確な未来へのビジョンを持ち、一歩ずつ着実に、縄文の栗林の世界に向かって進む。

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