テクノロジーの進化によって利用可能資源の幅が広がると、資源の供給量が爆発的に増加して、資源価格は暴落するでしょう。すると原材料費が低下して価格が下落し、デフレを引き起こすと考えられます。しかしこのデフレは良いデフレかも知れません。
今日問題になっているデフレは「おカネが回らないことによるデフレ」です。商品も資源も十分にあるにもかかわらず、消費者の購買力が低いためにモノが売れずにおカネがまわらない。モノが売れないために市場競争によって市場における販売価格がますます低下し、結果として失業を生み、格差を拡大してしまいます。悪いデフレです。
一方、資源価格が下落するとコストが低下するため、それに伴って価格が下落し、デフレになる可能性があります。この場合は「売れないから市場競争によって価格を下げざるを得ない」のではありません。原材料費が下がるので、ほとんど自動的に価格が下がります。
価格が下落するため、企業の売り上げ総額が減少するかも知れません。しかし同時に原材料費も減少しているため、利益は減りません。むしろ、価格の低下によって売り上げ数量が増加する可能性があります。売り上げ数量が増加すると、利益総額が増加します。
利益総額が増加すると、企業は投資を増やしますし、また従業員に支払う賃金を増やす可能性もあります。すると、労働者の購買力が拡大し、消費も増加する可能性があります。こうして、物価が下落する、つまりデフレにもかかわらず景気がよくなる現象が生じる可能性があると思います。
不景気とインフレが同時に生じる現象を「スタグフレーション」と呼び、これは資源価格が高騰する(資源が不足する)ことで生じます。ですから、その逆に、資源が供給過剰になれば、好景気とデフレが同時に生じても不思議はありません。こうしたことは今まで考えられなかった事態なので、名称はありませんけど。
してみると、ただ単純に「インフレが良い」「デフレが悪い」だけで判断することが、必ずしも正しいと言えないと思われるわけです。たとえば最近、原油価格の下落によってデフレを増長しましたが、これは必ずしも悪いことではありません。ただし、原油を産出している国にとっては、良いことではありません。世界全体としてみれば資源の供給過剰は悪いことではないのですから、何かしらグローバルな調整が必要な時代なのかも知れません。
テクノロジーの進化は人類のすべての人々にとって、とても重要であり、政府は国を挙げてテクノロジーの進化、資源利用技術の開発に取り組むべきだと思うのです。それによって「モノが安くなって、なおかつ景気が良くて豊かになる」社会が実現するかも知れません。
2017年6月15日木曜日
陰謀論のすすめ
陰謀論を信じない、そう公言する人は大勢居ます。しかし信じようと信じまいと、世の中が陰謀によって動いている事実を曲げることはできません。陰謀であるがゆえに、証明が不可能なだけです。証明出来ないからといって、存在しないわけではありません。
世の中には陰謀(はかりごと)がないどころか、実際の世の中は陰謀抜きに考えることは不可能なほどです。社会に出た事のない学生かお花畑の人ならまだしも、ひとたび社会に出れば、弱肉強食の競争原理の中で、生き残りをかけて、多くの人が、仕事の場面において謀略を経験しているはずです。市場は利益競合する者との戦いだからです。もちろん謀略を行う人が「謀略なんて考えたこともない」と言うのは当然です。下手をすると無意識にやっているかも知れませんね。もちろん犯罪にならない範囲でのことですが。
普通の日常社会においてもそうなのですから、これが国家間となれば、ますます陰謀は重要な役割を果たすようになるでしょう。国家の動きを陰謀論抜きで考えるのは愚かです。中国も韓国もアメリカも日本に陰謀を仕掛けてきますし、もちろん日本も陰謀を仕掛けるでしょう。陰謀なき国家は弱肉強食の世界では食われて滅びるのが宿命です。
ですから、ある意味で陰謀論をお勧めします。
もちろん陰謀をやたらに信じて大騒ぎするのは愚かです。陰謀は陰謀なのですから推測の域を出ないからです。もちろん諜報機関によって陰謀を知ることも重要ですが、限界がありますし、日本ではそんな機関すらありません。ですから、あくまで推測であることを踏まえなら、相手の行動を観察し、何を意図しているのか、隠された意図を探らねばなりません。日常の近所づきあいならまだしも、生き馬の目を抜くような国際社会において、相手の言葉通りに受け止めるのは自殺行為です。
常にあらゆる陰謀の可能性を排除せず、仮にそれが事実である場合にそなえてあらかじめ手を打たねば手遅れになります。陰謀にも過去の事例があるはずなので、そうした陰謀の研究はとても重要だと思います。
近年において陰謀に最も用いられる手法は、プロパガンダではないかと思います。プロパガンダは新聞マスコミを通じて拡散し、世論を誘導します。これは民主主義、とりわけ言論の自由が制限されていない先進諸国において大変に効果的です。
このような陰謀に基づくプロパガンダが、新聞マスコミを通じて常に仕掛けられていると考える必要があります。ですから国民は、新聞マスコミ報道をそのまま信じるのではなく、その隠された意図を推測して備える必要があると思うのです。
世の中には陰謀(はかりごと)がないどころか、実際の世の中は陰謀抜きに考えることは不可能なほどです。社会に出た事のない学生かお花畑の人ならまだしも、ひとたび社会に出れば、弱肉強食の競争原理の中で、生き残りをかけて、多くの人が、仕事の場面において謀略を経験しているはずです。市場は利益競合する者との戦いだからです。もちろん謀略を行う人が「謀略なんて考えたこともない」と言うのは当然です。下手をすると無意識にやっているかも知れませんね。もちろん犯罪にならない範囲でのことですが。
普通の日常社会においてもそうなのですから、これが国家間となれば、ますます陰謀は重要な役割を果たすようになるでしょう。国家の動きを陰謀論抜きで考えるのは愚かです。中国も韓国もアメリカも日本に陰謀を仕掛けてきますし、もちろん日本も陰謀を仕掛けるでしょう。陰謀なき国家は弱肉強食の世界では食われて滅びるのが宿命です。
ですから、ある意味で陰謀論をお勧めします。
もちろん陰謀をやたらに信じて大騒ぎするのは愚かです。陰謀は陰謀なのですから推測の域を出ないからです。もちろん諜報機関によって陰謀を知ることも重要ですが、限界がありますし、日本ではそんな機関すらありません。ですから、あくまで推測であることを踏まえなら、相手の行動を観察し、何を意図しているのか、隠された意図を探らねばなりません。日常の近所づきあいならまだしも、生き馬の目を抜くような国際社会において、相手の言葉通りに受け止めるのは自殺行為です。
常にあらゆる陰謀の可能性を排除せず、仮にそれが事実である場合にそなえてあらかじめ手を打たねば手遅れになります。陰謀にも過去の事例があるはずなので、そうした陰謀の研究はとても重要だと思います。
近年において陰謀に最も用いられる手法は、プロパガンダではないかと思います。プロパガンダは新聞マスコミを通じて拡散し、世論を誘導します。これは民主主義、とりわけ言論の自由が制限されていない先進諸国において大変に効果的です。
このような陰謀に基づくプロパガンダが、新聞マスコミを通じて常に仕掛けられていると考える必要があります。ですから国民は、新聞マスコミ報道をそのまま信じるのではなく、その隠された意図を推測して備える必要があると思うのです。
2017年6月14日水曜日
報道の自由より偏向報道の自由が問題
報道の自由が大切であることは当然ですが、日本の場合は報道の自由が制限される心配より、むしろ新聞マスコミによる偏った報道やプロパガンダまがいの報道が「自由に」行われていることのほうが遥かに心配です。
新聞マスコミ等のメディアは、ナチス・ヒトラーのメディア戦略でも明確なように、プロパガンダによる国民の洗脳工作に用いられるリスクが内在していると常に認識する必要があります。つまり、報道の自由を保障するとは、裏を返せば「自由に洗脳できることを保障する」意味があるのです。そしてプロパガンダを行うのは何も政府とは限りません。マスコミそのものがプロパガンダを行う可能性を排除することはできません。
もちろん、報道の自由を軽視すべきであるというのではありません。報道の自由は大切です。しかしあくまでも報道の自由は諸刃の剣であり、ただ単純に「報道の自由はすばらしいねー」だけで安心していてはいけないと言いたいのです。メディアは常にウソを流して国民を陥れようとする危険性がある。それを忘れてはいけないわけです。
そうした中で非常に重要なことは、「メディアの多様性の拡大」です。幸いにしてインターネットの普及によりメディアの多様性は拡大し、前世紀のように新聞やテレビがメディアを独占していた次代は徐々に終わりつつあります。しかし、あいかわらず朝日、読売、日経新聞などの大新聞が存在し、かなり高い独占状態にあります。このような少数の資本によるメディアの独占状態こそ、プロパガンダによる国民誘導のリスクを高めるのです。
新聞にしろテレビにしろ、そうした独占状態を打ち壊して、より多くのメディアにより、多様な報道がされることによって、初めて報道の自由の真の価値が発揮されるようになると思います。
2017年6月13日火曜日
排他的民族主義と共生的民族主義
民族主義と聞けば、世間ではナチス・ヒトラーの民族闘争思想のような排他的な民族主義を連想するようです。しかし民族主義はそもそも排他的である必然性などありません。各民族が互いに協力して、それぞれのコミュニティーを高める共生的な民族主義こそが、本来あるべき民族主義です。それは民族をごちゃ混ぜにする資本主義的な、いわゆる「多文化共生」とも本質的に異なる考えだと思います。
近年、拝金主義的なグローバリズムに対する人々の不信感、あるいは過激派のテロ攻撃による社会不安から、各国で民族主義的な動きが高まっています。こうした動きを新聞マスコミは危険視し、ステレオタイプな「排他的民族主義」と断定して、民族主義的な運動に対するネガティブ報道を展開しています。
しかし、少し冷静に考えればわかることですが、「生き残りをかけて民族が戦う」ような帝国主義時代における民族主義思想が現代に通用するはずもありませんし、その必要もありません。それを現代においてやっているのが北朝鮮です。しかしあれでは民族が衰退するばかりであり、民族の幸福と繁栄を実現することは不可能です。誰もそんな民族主義を望んでいるはずがありません。
現代において、民族の幸福と繁栄を実現するためには(多民族国家であったとしても)、自国のエゴだけ押し通すより、むしろ多くの国々(民族)と協調し、共存共栄を図る方が有効です。もし、ある国が貧困状態に取り残され、資源を搾取される立場にあるとすれば、その国が過激な民族主義に染まり、民族の生き残りをかけて戦争をしかける危険な状況に陥るリスクもあります。その意味からも、世界の各民族は互いに自由・平等・博愛の精神で相互支援する必要があります。
ですから、今日、目指すべきは共生的民族主義です。
共生的な民族主義は、まったく過激ではありません。むしろ、いかに他の民族を助けるかが、現代の民族主義にとって重要です。そこには「互いの民族・文化を尊重する」高い意識が必要となります。どれほど経済力が低い国であっても、民族として尊重する、そして尊重される。地球の多様な民族文化を維持発展させるための、グローバルな民族の共同体です。
それは、現代における拝金主義的なグローバリズムとはまったく異なります。拝金主義的なグローバリズムの第一義はカネであり、企業であり、民族ではありません。グローバル大企業の共同体です。そのため、多文化共生といいながら、実際には多文化をごちゃまぜにしてミックスしてしまうことで、民族特性は消し飛んでしまうのです。そして企業と株主の幸福と繁栄が追求される、世界統一拝金社会になるのです。
今日における民族主義運動にも、様々な立場はあると思います。中には戦前の民族闘争思想を持っている時代遅れの人々もいることでしょう。しかし、今日における民族主義的な運動の大部分はむしろ民族としての団結、共同体、文化、アイデンティティーを維持すること、つまり、本当の意味で多文化を維持し続けようとする立場に親和的なはずです。そのためには、民族間には「境界線」による秩序が必要なのであり、拝金主義思想に基づく「ごちゃまぜのカオス世界」を安易に認めてはならないのです。
まったく問題ありません。
問題があるとすれば、その手法が「稚拙」である場合です。たとえば自国内にいる異民族を暴行するとか、ヘイトスピーチするとか、差別するとか、そんな手法はまったく無意味です。彼らの自己満足を満たすだけであり何の解決にもならないからです。
近年、拝金主義的なグローバリズムに対する人々の不信感、あるいは過激派のテロ攻撃による社会不安から、各国で民族主義的な動きが高まっています。こうした動きを新聞マスコミは危険視し、ステレオタイプな「排他的民族主義」と断定して、民族主義的な運動に対するネガティブ報道を展開しています。
しかし、少し冷静に考えればわかることですが、「生き残りをかけて民族が戦う」ような帝国主義時代における民族主義思想が現代に通用するはずもありませんし、その必要もありません。それを現代においてやっているのが北朝鮮です。しかしあれでは民族が衰退するばかりであり、民族の幸福と繁栄を実現することは不可能です。誰もそんな民族主義を望んでいるはずがありません。
現代において、民族の幸福と繁栄を実現するためには(多民族国家であったとしても)、自国のエゴだけ押し通すより、むしろ多くの国々(民族)と協調し、共存共栄を図る方が有効です。もし、ある国が貧困状態に取り残され、資源を搾取される立場にあるとすれば、その国が過激な民族主義に染まり、民族の生き残りをかけて戦争をしかける危険な状況に陥るリスクもあります。その意味からも、世界の各民族は互いに自由・平等・博愛の精神で相互支援する必要があります。
ですから、今日、目指すべきは共生的民族主義です。
共生的な民族主義は、まったく過激ではありません。むしろ、いかに他の民族を助けるかが、現代の民族主義にとって重要です。そこには「互いの民族・文化を尊重する」高い意識が必要となります。どれほど経済力が低い国であっても、民族として尊重する、そして尊重される。地球の多様な民族文化を維持発展させるための、グローバルな民族の共同体です。
それは、現代における拝金主義的なグローバリズムとはまったく異なります。拝金主義的なグローバリズムの第一義はカネであり、企業であり、民族ではありません。グローバル大企業の共同体です。そのため、多文化共生といいながら、実際には多文化をごちゃまぜにしてミックスしてしまうことで、民族特性は消し飛んでしまうのです。そして企業と株主の幸福と繁栄が追求される、世界統一拝金社会になるのです。
今日における民族主義運動にも、様々な立場はあると思います。中には戦前の民族闘争思想を持っている時代遅れの人々もいることでしょう。しかし、今日における民族主義的な運動の大部分はむしろ民族としての団結、共同体、文化、アイデンティティーを維持すること、つまり、本当の意味で多文化を維持し続けようとする立場に親和的なはずです。そのためには、民族間には「境界線」による秩序が必要なのであり、拝金主義思想に基づく「ごちゃまぜのカオス世界」を安易に認めてはならないのです。
まったく問題ありません。
問題があるとすれば、その手法が「稚拙」である場合です。たとえば自国内にいる異民族を暴行するとか、ヘイトスピーチするとか、差別するとか、そんな手法はまったく無意味です。彼らの自己満足を満たすだけであり何の解決にもならないからです。
2017年6月12日月曜日
生産性が向上しても投資は増えない
投資が伸びないのは日本の低い生産性に原因がある、などと新聞マスコミは書いています。しかし生産性が向上したところで企業の投資は増えないでしょう。私が株主だったら、生産性が向上しても新たな投資などせず、企業に配当金を要求するだけです。
なぜ企業や投資家が投資をするのか?それは投資に見合うだけの利潤の増加を期待するからです。そのためには、投資することで企業の売り上げが増加しなければならないわけです。
デフレで景気が悪く売り上げが増えないとすれば、投資に対する利潤の増加は見込めません。そんな状況では投資効率が悪すぎてカネをどぶに捨てるようなものです。ただし、企業や社員の努力で日本の生産性が向上すれば利潤は増えますので、配当金を要求します。ただし再投資して供給力を増やすよりもカネを回収したほうが得ですから、再投資せずに配当だけ回収します。
逆に言えば、生産性の如何に関わらず、売り上げ総額が増える見込みがあれば、投資する価値があります。生産性が上昇しなくても投資によって供給力を増やすほど確実に利潤が増えるからです。ですから、ごく当たり前に考えて、生産性の向上よりも売り上げの増加の方が投資を促進するでしょう。
一方、投資によって生産性を向上することで利潤を増やす方法はあります。本当に日本の生産性が低いのなら、投資によって生産性を高めることができます。この場合は新聞マスコミの言うような「生産性が向上することで投資が促進される」のではなく、「投資によって生産性が高まる」のです。つまり新聞マスコミの解釈は本末転倒です。
ただし、投資によって生産性を高めるとは、たとえば人工知能やロボットを導入することを意味します。つまり、それによって従業員をリストラし、人件費コストをカットすることで生産性を向上させるわけです。その結果、失業者が増大して、経済にはデフレ圧力が生じます。しかも、投資家は配当金を抜くだけで、デフレ環境下で事業を拡大しようとは考えません。自分なら抜いた利益で売り上げ増加の見込める途上国に投資します。
ですから、変なことを考える必要はありません、
ヘリマネで国民におカネを配ればよいのです。
そうすれば企業は「売り上げが増える」と予想しますから、企業も資産家も設備投資に動きます。投資増と消費増の両方が期待できます。そして企業の売り上げが増えれば、従業員1人当たりの売り上げ(=生産性)が増加しますから、生産性は必然的に向上すると思います。
なぜ企業や投資家が投資をするのか?それは投資に見合うだけの利潤の増加を期待するからです。そのためには、投資することで企業の売り上げが増加しなければならないわけです。
デフレで景気が悪く売り上げが増えないとすれば、投資に対する利潤の増加は見込めません。そんな状況では投資効率が悪すぎてカネをどぶに捨てるようなものです。ただし、企業や社員の努力で日本の生産性が向上すれば利潤は増えますので、配当金を要求します。ただし再投資して供給力を増やすよりもカネを回収したほうが得ですから、再投資せずに配当だけ回収します。
逆に言えば、生産性の如何に関わらず、売り上げ総額が増える見込みがあれば、投資する価値があります。生産性が上昇しなくても投資によって供給力を増やすほど確実に利潤が増えるからです。ですから、ごく当たり前に考えて、生産性の向上よりも売り上げの増加の方が投資を促進するでしょう。
一方、投資によって生産性を向上することで利潤を増やす方法はあります。本当に日本の生産性が低いのなら、投資によって生産性を高めることができます。この場合は新聞マスコミの言うような「生産性が向上することで投資が促進される」のではなく、「投資によって生産性が高まる」のです。つまり新聞マスコミの解釈は本末転倒です。
ただし、投資によって生産性を高めるとは、たとえば人工知能やロボットを導入することを意味します。つまり、それによって従業員をリストラし、人件費コストをカットすることで生産性を向上させるわけです。その結果、失業者が増大して、経済にはデフレ圧力が生じます。しかも、投資家は配当金を抜くだけで、デフレ環境下で事業を拡大しようとは考えません。自分なら抜いた利益で売り上げ増加の見込める途上国に投資します。
ですから、変なことを考える必要はありません、
ヘリマネで国民におカネを配ればよいのです。
そうすれば企業は「売り上げが増える」と予想しますから、企業も資産家も設備投資に動きます。投資増と消費増の両方が期待できます。そして企業の売り上げが増えれば、従業員1人当たりの売り上げ(=生産性)が増加しますから、生産性は必然的に向上すると思います。
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