戦前から戦後の時代、完全雇用は政府の目指すべき重要方針の一つであることは疑いのない事実でした。しかし止まることのないテクノロジーの進化は、そうした完全雇用を前提とする社会の終焉を予兆しています。
かつて社会に必要とされる多くの財は、人間の労働によって生み出されてきました。しかし科学技術が進化するにつれ、人間の労働よりも、むしろ機械の働きによって財が生み出されるようになってきたことは周知の事実です。そしていわば人間は機械に仕事を奪われ、その人間が新たな財の生産に従事することによって、社会全体の財の生産量と質を向上させてきたと言えます。
しかし、技術の進化速度はますます速くなり、ついにはロボットや人工知能が登場するに至り、将来的には、研究開発といった仕事を除いて、生産活動に人間の労働を必要としなくなる日が来ることは明白です。もちろん、それは将来の話であるとはいえ、そうした変化は徐々に起きるのであって、今現在も起こりつつあると言えます。
そうした状況において、果たしてすべての人々に仕事を与える、つまり雇用を作り出し、完全雇用の社会を実現することは可能なのか?考えるまでもないでしょう。不可能です。
もし仮に、それでもなお雇用を作り出すとすれば、まったく意味のない作業、それこそ「穴を掘って埋めるだけの仕事」に近いような仕事をさせるしかありません。
今日、安倍首相が一億総活躍社会を目指し、新聞が70歳定年制を書き立てています。そのため、高齢化社会ではそれが当然であるかのように考える人も居るでしょう。
確かに、働く人が減ると経済や社会保障が衰退してしまいます。それはなぜか?人手不足によって財の生産が滞るからではありません。それは戦前・戦後の話です。いまやロボットや人工知能のような「機械」がそれらの生産を担ってくれるからです。では、なぜ働く人が減ると経済や社会保障が衰退するのか?
ほぼ労働によってのみ、消費者におカネが供給されるから。
そのため、働く人が減ると、消費者に供給されるおカネの量が減り、社会全体の購買力が減って消費が衰退すると同時に、税収も減少し、社会保障が維持できなくなるのです。つまり、おカネの大部分が賃金としてのみ消費者に供給されている限り、この問題は永久に解決できません。
にもかかわらず、一億総活躍社会のように、政策として完全雇用を目指し、完全雇用のために延々と仕事を作り出そうとする努力は、完全にテクノロジー社会の進化の方向に逆行しているといわざるを得ないわけです。
しかし、現在の与党・自民党はおろか、野党においてすら、こうした問題を正しく理解している政党はありません。いまだに「労働者VS経営者」なんて話をしていても、この問題を解決する事はできないのです。テクノロジーの時代の変化に対応するためには、「労働によらずに消費者におカネを供給するシステム」が必要とされます。これは将来的には「絶対に避けられない」のです。簡単にいえば、ほとんどすべての仕事が機械化されてしまえば、それ以外に消費者におカネを供給する方法がないからです。
もちろん、あと10年ほどでそうした時代が訪れるとは考えられません。しかし、足元ではすでにそうした変化が着実に進行しているのであり、それが慢性的なデフレ、賃金の伸び悩みといった形で経済に影響していると考えてほぼ間違いないでしょう。
これからの時代に求められるのは、完全雇用のために仕事を作り出したり、あるいは65歳以上の高齢者に仕事を与えたりすることではなく、「労働によらずに消費者におカネを供給するシステム」を構築することです。すべての国民に毎月1万円を支給することから徐々に始めていけば、無理なくそうしたシステムを構築することができると思うのです。