2021年3月8日月曜日

AIが人類を凌駕すれば平等社会になる

 なぜ人間は平等ではないのか?恐ろしく簡単に言えば、人間の能力に差があるからであろう。能力の高い方がより多くの富(あるいは所得)を得る社会になっている。ある意味、それは避けられなかった。これまでの社会は共同体社会ではなく、市場原理に基づく競争社会だったわけだし、無意識的にしろ、結果として、その格差こそが技術革新と生産性の向上あるいは資源の効率的な利用につながり、社会全体の平均的な豊かさを押し上げてきた側面がある。

 しかし、人工知能が人間の能力を圧倒的に凌駕する時代が訪れたとすればどうなるだろうか?人間がまるで犬や猿のような存在になってしまえば、人間の能力の差など、まるで問題にならない。犬と猿の能力に違いはあるが、圧倒的な人工知能と比較すれば、「どっちも馬鹿」であることに変わりない。そして人間に代わって富の生産の大部分を人工知能が担うことになれば、能力差によって人間の処遇に差をつける意味がなくなるのだ。すなわち、人工知能が人間の能力を圧倒的に凌駕する時代になれば、ようやく人間は「富の分配」において平等になることができる。

 もちろん、それは今すぐではない。しかし時間の問題だろう。10年先か、30年先かという程度の差だと思う。つまり、その認識を踏まえて、現代社会を見直し、富の分配の意味を問い直すことも必要だと思う。いずれその時が来るのだから。

 では、そうなったら、まったく競争のない、すべてが平等な社会になるかと言えば、そうではない。人工知能が作り出す消費財(物質やサービス)の分配が平等になるだけであって、それ以外の分野においては、相変わらず人々は競争して他人より優れた存在になろうとするだろう。他の人から尊敬されたり、より多くの人々から賞賛を受けるために切磋琢磨を続けることになる。あるいは、人々とは無関係に、黙々と自分の興味の赴くところ、探求を続けることになる。