日本の貯蓄率が低下し続けています。そのため、将来において国債を買い支えるための貯蓄が無くなり、国債価格が暴落して金利が上昇すると騒いでいます。ところで、家計の貯蓄が減少するとすれば、その分のおカネはどこへ行くのでしょうか?
誰も何も書きませんが、貯蓄が減った分だけ、そのおカネがどこかへ行くはずでしょう。それとも、消えてしまうのでしょうか。企業へ流れるのでしょうか。企業に流れたとしても、民間の貯蓄は減りますが企業の貯蓄が増加しますので、貯蓄の総量は減りませんよね。銀行へ流れる。銀行の貯蓄が増えるので、貯蓄の総量は減りませんよね。海外へ流れる?貿易黒字の国の通貨が海外へ流出するとは普通考えられませんよね。アメリカは貿易赤字なのでドル垂れ流しですが日本は真逆です。もし海外へ流れても、海外の円貯蓄が増えるので、円としての貯蓄総額は減りません。残る経済主体は日本国政府だけですが、もとより負債しかありません。では、貯蓄率が低下して減ったおカネはどこへ行くのでしょうか?誰も何も書きません。書くと嘘がばれるからです。
では、本当に円通貨圏の全体の貯蓄が減る心配はないのでしょうか?実は減る心配があります。それは、貯蓄の減った分だけおカネがどこかへ行ってしまうからなのではなく、おカネそのものが消滅するからです。
現在おカネとして流通している「預金」は債権です。債権とは誰かがおカネを借りて、その借りた人が返済するという約束(信用)が価値として認められ、流通しているものです。預金とはだれかが借金することで生まれたおカネなのです(ちなみに預金と貯蓄の違いがわからない人は、預金制度の基礎を知る必要があります)。ということは、誰かが返済するとおカネは消えます。それでも世の中のおカネがすべて消えて無くならないのは、返済される借金が毎日大量にある一方で、新たに借りられる借金も大量にあるからです。おカネは常に生まれたり消えたりしているのです。ところが、借りる人より返す人が多くなると、世の中の預金はどんどん減少し続けます。
つまり、貯蓄が無くなるのは、貯蓄率が低下するために起こるのではなく、デフレ不況でおカネを借りる人がどんどん減っているのが原因なのです。 マスコミはこの事に決して触れませんので、専門家を除いてこれを理解している人は世の中にほとんど居ませんです。
そうは言っても、不況で借金をする人が減っているにもかかわらず日本の預金総額そのものは大きく減少していません。なぜでしょうか?誰かが借金することで預金が生まれているなら、いったい誰が借金をしているのでしょうか?それは日本国政府です。
デフレ不況でおカネを借りる人が激減し、本来であれば世の中のおカネが消えてしまうのですが、日本国政府が国債を発行することで、世の中のおカネの総量を維持してきたのです。ですから、国債の発行を減少させると預金総額が減少し、社会に循環する通貨が激減し、貯蓄そのものも急速に減少します。つまり、今の貯蓄は国債によって支えられているのです。マスコミはこのことを一切書きません。 貯蓄が減って国債を買えなくなるなど笑止であり、実際には国債が貯蓄を支えているのです。
余談ですが、麻生太郎はそのこともよく理解していたと思われます。「不況で誰も借金をしないから政府が借金をして経済を支えているのだ」という趣旨の発言をしています。さらに、借金として生まれる「預金」に依存する現代経済システムが限界に来ている事を知っていたらしく、政府通貨の発行を検討していました。政府通貨とは「消えることの無いおカネ」です。しかし、そのことが麻生政権の命取りとなりました。歴史上、政府通貨を検討した政権は必ず潰される。ケネディなど暗殺されたほどです。実際に政府通貨を発行して南北戦争に勝利したリンカーンも暗殺されています。案の定、麻生政権は社会の支配階層であるマスコミから総攻撃を受けて崩壊することになりました。
麻生は愚にも付かない失言を除けば、近年まれに見る優秀な政治家でしたので、実に残念ですが、これが民主主義の実態です。
2011年6月4日土曜日
財源の本質とは何か
財源をおカネだと考えている人がほとんどですが、本当の財源とはおカネではありません。年金の財源といえば、おカネだと考える人がほとんどですが、おカネなどなくとも老後の生活の保障は可能なのです。財源とは富を生み出す生産力にあるからです。
年金財源はおカネではない
人々が生活するために本当に必要なのは生活物資です。衣食住の物資であり、保健医療、娯楽、教養などのサービスです。大切なのはおカネではなく、これらの生活物資をいかに生産し、人々に分配するかということです。そのための方法の一つとして年金制度があるのです。もし年金制度が機能しておカネを高齢者にきちんと配分することができたとしても、生活物資やサービスの絶対量が不足してしまえば、老後の生活など保障できるはずもないのです。年金制度とは、おカネの制度を利用してはいますが、実際には生産した生活物資やサービスを高齢者に分配するためのシステムにほかなりません。社会の活力を高め、その余力によって高齢者に分配する商品やサービスを生み出すことこそ年金制度の本質なのです。高齢者に分配する財を生産すること。財務省や日本銀行の理論が空虚なのは、このような視点が決定的に欠落しているからです。彼らにあるのは生産ではなく「カネの収支」「カネの交換レート(物価)」だけなのです。これでは年金制度など崩壊して当然なのです。
カネの収支やカネの交換レートが大切といわれる理由は、それが社会の活力を高め、生産余力によって高齢者に配分するための財を生み出すために必要だと考えられるからであります。しかし、デフレや不況により社会の活力を失ってまでカネの収支やカネの交換レートを守ろうとすることは、本末転倒です。これではカネの収支は合っても生産が滞り年金制度は本質的に崩壊する。官僚にかぎらす、組織はその性質から言って国家の全体最適化ではなく、その省庁の目的を最適化しようとする傾向があり、たとえ国家を破滅に導くとしても組織の目的に向かって猛進します。それは太平洋戦争へ突き進んだ軍官僚組織にあきらかです。戦前の軍官僚と同じように、いままさに財務官僚と日銀官僚が組織の目的のために暴走し、日本を太平洋戦争以来の破局に導こうとしているとしか思えません。すくなくとも、政治主導ではなく、官僚主導の政治が堂々と行われている今日は、戦争へと突入して行った、軍官僚主導の戦前日本と酷似していると言えるのではないでしょうか。
カネを抜いて考えてみる
現在の経済は市場とカネを通じて財の分配が行われるため、生産と分配という経済の根本的なシステムが見えにくくなってしまいました。モノ余りの時代と言われる一方で、モノの不足した貧困層が増加する日本。そこで、おカネを目に見えないように透明化して、財の生産と分配だけを見てみましょう。このためにアリの社会を想定してみます。このアリは人間には見えない特殊な化学物質を「おカネ」として使っているとしましょう。彼らの社会では物資の交換におカネが使われているのですが、私たちには見えません。すると、おかしなことに気がつきます。食料が大量に生産され余っている一方、そのすぐ横では満足な食料を得ることのできないアリが餓死していくのです。普通のアリの社会であれば、こんなことはあり得ないでしょう。食料の足りないアリは余った食料を食べて、アリの巣全体で餓死など出るはずはありません。それが普通です。ところがこのアリの社会では食料が余って腐る一方で、その横で餓死するアリが大量に発生するのです。余っているのだから分け与えればよいのですが、それはしません。その理由は、飢えているアリにおカネが無いからなのですが、私たちにはおカネが見えないので、そのアリに食料が分配されない理由は外から見てもわかりません。なぜか食料が余っているのに、一部のアリには食料が分け与えられないのです。その一方で食料が余ってしまうため、生産余力があるにも関わらず、食料の生産を減らしてしまいます(生産調整)。なぜ餓死するアリが大量に居るのに生産を減らすのか?そのアリに言わせると「需要が無いから」だそうだ。だがその矛盾を指摘するアリは居ない。そして「需要が無いのは人口が減少しているからだ」という。それが正論としてアリの社会では信じられているのです。飢えているアリが何万匹も居ても、需要が無いと平気で信じています。このようにカネは人々の考えを混濁させ、本質を覆い隠してしまうのです。カネを抜いて考えてみると、この矛盾に誰もが気がつくはずでしょう。日本の社会がおかしくなっている原因は人口が減っていることではありません。おカネの存在こそが災いの元凶なのです。
もちろん通貨を廃止せよなどと言うのではありません。通貨制度は多大な矛盾を孕んでいるとしても重要な制度です。通貨制度に代わる生産と分配のシステムを実現することは簡単でないからです。そうではなくて現代の拝金主義、カネベースでしか物事を考えることのできない偏った政治家や官僚に任せていては、本質を見失い、国家を破綻させる危険性があることを指摘したいのです。そして、通貨制度は憲法と同様に永遠普遍のものではなく、時代とともに常に改革され、それによって生産と分配を最適化し、不幸な人々を減らす必要があるはずなのです。財務省も日本銀行も官僚であり、官僚にはそれができない。リスクを負えない官僚組織は宿命的にイノベーションを実行できないのです。それゆえ企業であればトップが、国家であれば政治がリスクを背負ってイノベーションを行わねばならない使命にあります。政治主導の意味はそこにあるのです。
財源とは生産能力そのものである
ゆえに生産能力を増やすことが財源の確保となる
財源をおカネではなく、財を生み出す生産力であると考えることが必要です。財源とは普通「税金」を意味します。しかし税金はそれを使うことで何らかの財(公共設備や公共サービスなど)を生み出していますので、一定の生産力を背景に必要としています。国全体の生産力から税によって費やされる生産力を引いた残り、この残りの生産力が民間の生活必需品の生産と消費に費やされます。おカネを使って財を生み出す以上、財源とは生産力のことなのです。生産力なくして財源は成り立ちません。そして、増税するということは、国全体の生産力のうち税金によって費やされる分の生産力を増やし、民間の生産と消費に費やされる分の生産力を減らすことを意味します。増税によって人々の生活が苦しくなるのは、国全体の生産力のうちの多くを、税金というかたちで奪われてしまうからなのです。表面的には税金という形でカネとして奪われていますが、本質的には生産力を奪われているのです。そして政府が税金として徴収した生産力を政府として使っています。これが財源です。
財源を考えることは、国全体の生産力の振り分けを考えることであることがわかります。予算とは、その振り分けをおカネを使ってやっているに過ぎません。国全体の生産力をどのように配分して使用するのか。社会主義であればそのすべてを国家が管理しますが、資本主義では税を用いて公共と民間の配分を決める以外は、民間に任されることになります。
生産力の振り分けをおカネを用いて行うことが可能なのはなぜか。それは生産量が循環する通貨量によって決まるからです。年間に生産される財は市場においてほぼ完全に売買されるので、生産量は財の売買に使われたおカネの総額、つまり循環するおカネの量に等しいわけです。そして、売買に使われるおカネの量に応じて生産量が決まります。つまり、たくさん売れればたくさん生産されるのです。従って売買に使われるおカネの量、つまり循環する通貨の量が増えれば生産力も増加します。しかし最大生産力を超えることはありません。最大生産力は生産余力および経済成長力の合計です。つまりデフレ日本のように工場や労働者が余っている状態であれば、生産余力がありますし、生産技術があれば生産能力の向上、つまり経済成長が期待できます。その範囲であれば循環する通貨量を増やせば増やすほど生産力が増加します。
すぐに気が付くと思われますが、生産力を高めて、その高まった生産力を政府が利用するのであれば、民間消費に必要な生産力が奪われることなく、公共設備や公共サービスなどを実現することが可能であることがわかります。ところが財務省が行おうとしているのは、生産力を高めることなく、政府で使用する分の生産力を民間から奪おうとする行為ですから、どうやっても民間の貧困化は避けられません。しかも、いまある生産力を振り分けるという行為だけを続けていても、日本の生産力が向上することなど無く、財務省の行為は、ただ場当たり的に問題を先送りしているに過ぎないのです。
財源を確保するとは、今ある生産能力の範囲で振り分けを考える事で実現できるのではありません。財源の裏づけとなる日本の生産力を高めることによって初めて可能になることなのです。そして、生産力は最大生産力を超えない限り循環する通貨の量を増やすことによって高めることができる。これを基本として財源を考えるべきだと思うのです。
年金財源はおカネではない
人々が生活するために本当に必要なのは生活物資です。衣食住の物資であり、保健医療、娯楽、教養などのサービスです。大切なのはおカネではなく、これらの生活物資をいかに生産し、人々に分配するかということです。そのための方法の一つとして年金制度があるのです。もし年金制度が機能しておカネを高齢者にきちんと配分することができたとしても、生活物資やサービスの絶対量が不足してしまえば、老後の生活など保障できるはずもないのです。年金制度とは、おカネの制度を利用してはいますが、実際には生産した生活物資やサービスを高齢者に分配するためのシステムにほかなりません。社会の活力を高め、その余力によって高齢者に分配する商品やサービスを生み出すことこそ年金制度の本質なのです。高齢者に分配する財を生産すること。財務省や日本銀行の理論が空虚なのは、このような視点が決定的に欠落しているからです。彼らにあるのは生産ではなく「カネの収支」「カネの交換レート(物価)」だけなのです。これでは年金制度など崩壊して当然なのです。
カネの収支やカネの交換レートが大切といわれる理由は、それが社会の活力を高め、生産余力によって高齢者に配分するための財を生み出すために必要だと考えられるからであります。しかし、デフレや不況により社会の活力を失ってまでカネの収支やカネの交換レートを守ろうとすることは、本末転倒です。これではカネの収支は合っても生産が滞り年金制度は本質的に崩壊する。官僚にかぎらす、組織はその性質から言って国家の全体最適化ではなく、その省庁の目的を最適化しようとする傾向があり、たとえ国家を破滅に導くとしても組織の目的に向かって猛進します。それは太平洋戦争へ突き進んだ軍官僚組織にあきらかです。戦前の軍官僚と同じように、いままさに財務官僚と日銀官僚が組織の目的のために暴走し、日本を太平洋戦争以来の破局に導こうとしているとしか思えません。すくなくとも、政治主導ではなく、官僚主導の政治が堂々と行われている今日は、戦争へと突入して行った、軍官僚主導の戦前日本と酷似していると言えるのではないでしょうか。
カネを抜いて考えてみる
現在の経済は市場とカネを通じて財の分配が行われるため、生産と分配という経済の根本的なシステムが見えにくくなってしまいました。モノ余りの時代と言われる一方で、モノの不足した貧困層が増加する日本。そこで、おカネを目に見えないように透明化して、財の生産と分配だけを見てみましょう。このためにアリの社会を想定してみます。このアリは人間には見えない特殊な化学物質を「おカネ」として使っているとしましょう。彼らの社会では物資の交換におカネが使われているのですが、私たちには見えません。すると、おかしなことに気がつきます。食料が大量に生産され余っている一方、そのすぐ横では満足な食料を得ることのできないアリが餓死していくのです。普通のアリの社会であれば、こんなことはあり得ないでしょう。食料の足りないアリは余った食料を食べて、アリの巣全体で餓死など出るはずはありません。それが普通です。ところがこのアリの社会では食料が余って腐る一方で、その横で餓死するアリが大量に発生するのです。余っているのだから分け与えればよいのですが、それはしません。その理由は、飢えているアリにおカネが無いからなのですが、私たちにはおカネが見えないので、そのアリに食料が分配されない理由は外から見てもわかりません。なぜか食料が余っているのに、一部のアリには食料が分け与えられないのです。その一方で食料が余ってしまうため、生産余力があるにも関わらず、食料の生産を減らしてしまいます(生産調整)。なぜ餓死するアリが大量に居るのに生産を減らすのか?そのアリに言わせると「需要が無いから」だそうだ。だがその矛盾を指摘するアリは居ない。そして「需要が無いのは人口が減少しているからだ」という。それが正論としてアリの社会では信じられているのです。飢えているアリが何万匹も居ても、需要が無いと平気で信じています。このようにカネは人々の考えを混濁させ、本質を覆い隠してしまうのです。カネを抜いて考えてみると、この矛盾に誰もが気がつくはずでしょう。日本の社会がおかしくなっている原因は人口が減っていることではありません。おカネの存在こそが災いの元凶なのです。
もちろん通貨を廃止せよなどと言うのではありません。通貨制度は多大な矛盾を孕んでいるとしても重要な制度です。通貨制度に代わる生産と分配のシステムを実現することは簡単でないからです。そうではなくて現代の拝金主義、カネベースでしか物事を考えることのできない偏った政治家や官僚に任せていては、本質を見失い、国家を破綻させる危険性があることを指摘したいのです。そして、通貨制度は憲法と同様に永遠普遍のものではなく、時代とともに常に改革され、それによって生産と分配を最適化し、不幸な人々を減らす必要があるはずなのです。財務省も日本銀行も官僚であり、官僚にはそれができない。リスクを負えない官僚組織は宿命的にイノベーションを実行できないのです。それゆえ企業であればトップが、国家であれば政治がリスクを背負ってイノベーションを行わねばならない使命にあります。政治主導の意味はそこにあるのです。
財源とは生産能力そのものである
ゆえに生産能力を増やすことが財源の確保となる
財源をおカネではなく、財を生み出す生産力であると考えることが必要です。財源とは普通「税金」を意味します。しかし税金はそれを使うことで何らかの財(公共設備や公共サービスなど)を生み出していますので、一定の生産力を背景に必要としています。国全体の生産力から税によって費やされる生産力を引いた残り、この残りの生産力が民間の生活必需品の生産と消費に費やされます。おカネを使って財を生み出す以上、財源とは生産力のことなのです。生産力なくして財源は成り立ちません。そして、増税するということは、国全体の生産力のうち税金によって費やされる分の生産力を増やし、民間の生産と消費に費やされる分の生産力を減らすことを意味します。増税によって人々の生活が苦しくなるのは、国全体の生産力のうちの多くを、税金というかたちで奪われてしまうからなのです。表面的には税金という形でカネとして奪われていますが、本質的には生産力を奪われているのです。そして政府が税金として徴収した生産力を政府として使っています。これが財源です。
財源を考えることは、国全体の生産力の振り分けを考えることであることがわかります。予算とは、その振り分けをおカネを使ってやっているに過ぎません。国全体の生産力をどのように配分して使用するのか。社会主義であればそのすべてを国家が管理しますが、資本主義では税を用いて公共と民間の配分を決める以外は、民間に任されることになります。
生産力の振り分けをおカネを用いて行うことが可能なのはなぜか。それは生産量が循環する通貨量によって決まるからです。年間に生産される財は市場においてほぼ完全に売買されるので、生産量は財の売買に使われたおカネの総額、つまり循環するおカネの量に等しいわけです。そして、売買に使われるおカネの量に応じて生産量が決まります。つまり、たくさん売れればたくさん生産されるのです。従って売買に使われるおカネの量、つまり循環する通貨の量が増えれば生産力も増加します。しかし最大生産力を超えることはありません。最大生産力は生産余力および経済成長力の合計です。つまりデフレ日本のように工場や労働者が余っている状態であれば、生産余力がありますし、生産技術があれば生産能力の向上、つまり経済成長が期待できます。その範囲であれば循環する通貨量を増やせば増やすほど生産力が増加します。
すぐに気が付くと思われますが、生産力を高めて、その高まった生産力を政府が利用するのであれば、民間消費に必要な生産力が奪われることなく、公共設備や公共サービスなどを実現することが可能であることがわかります。ところが財務省が行おうとしているのは、生産力を高めることなく、政府で使用する分の生産力を民間から奪おうとする行為ですから、どうやっても民間の貧困化は避けられません。しかも、いまある生産力を振り分けるという行為だけを続けていても、日本の生産力が向上することなど無く、財務省の行為は、ただ場当たり的に問題を先送りしているに過ぎないのです。
財源を確保するとは、今ある生産能力の範囲で振り分けを考える事で実現できるのではありません。財源の裏づけとなる日本の生産力を高めることによって初めて可能になることなのです。そして、生産力は最大生産力を超えない限り循環する通貨の量を増やすことによって高めることができる。これを基本として財源を考えるべきだと思うのです。
2011年5月29日日曜日
8)おカネの二面性という欠陥
日本を蝕むデフレは、富の源泉である国の生産力を徐々に破壊し、格差を助長し、貧困を生み出しています。それは現在の経済の中心を担う「市場」がその本来の目的である財(商品やサービス)の交換という機能を失ったためです。このままでは市場経済よりも計画経済の方が遥かにましな時代が訪れることになるでしょう。なぜこのような事になったのか。その根本的な原因はおカネの二面性という、それ自身の宿命的欠陥にあると思われます。
デフレの原因は財の生産に見合うだけのおカネが使われない事
おカネには二つの大きな側面があります。第一は市場における交換の媒体としての役割。市場における財の交換機能です。第二は価値の保存機能です。それが貯蓄です。市場を麻痺させている原因は、第二の機能である貯蓄にあります。おカネの本来の機能は第一の機能、つまり市場における財の交換の媒体としての役割です。もちろん第二の機能である貯蓄の機能も非常に大切です。財の生産や需要には個々に変動があるため、市場において、その変動による短期的な供給不足や需要不足を緩衝する機能を果たすからです。また社会全体の経済システムが安定しているなら、個人にとって事故などの環境変化による収入の減少、途絶などに備えて貯蓄は極めて有効です。ですから、ある程度の貯蓄は許されるべきで、むしろ推奨されるべきだと思います。しかし無制限に貯蓄するとどうなるか?社会に存在するおカネの量には制限があるため、おカネが貯め込まれてしまうと、第一の機能である「市場における財の交換」のために必要とされるおカネが足りなくなってしまうのです。これによりデフレーションが発生します。
現代の市場では物々交換という仕組みが失われたために、市場における交換は必ずおカネを媒介とするようになりました。国民の生産した様々な財(商品やサービス)は必ず市場を通じて人々に分配されますから、おカネは非常に重要であり、交換の媒体としてのおカネが不足すると、すぐに財(商品やサービス)の交換機能が失われ、片方で財が余ってしまう一方で、財が人々に行き渡らず不足するという事態が同時に発生します。つまり、「モノ余りとモノ不足が同時に起こり」ます。これがデフレ状態です。現代の日本でも、生産過剰と言われる一方でモノが不足した人々(貧困層)が増加する事態となっています。生産力があって工場が遊んでいる一方で、モノが手に入らない人々が増加するという奇妙な現象が発生するのです。これは資源の最適配分の問題ではなく、単に財の交換に使われるおカネの量の不足していることが原因なのです。
もし日本が社会主義の計画経済であれば、国が失業者を雇用して遊休工場を稼動させ、財を生産してその財を失業者に分配すれば貧困問題は解決します。ところが市場経済ではそういうことはできません。市場経済でこのような事態が発生する原因は、財の生産量に見合うだけの十分なおカネが財の交換に使われていない事によります。それ以外に原因は無いのです。なぜそのような事態が発生するのか?それは貯蓄です。
貯蓄が人々を貧しくする
マクロ経済において、国民が受け取る所得の総額(労働者の賃金、経営者の収入や株主への配当などをすべて合わせた総額)は、企業などで人々が働いて生み出した財(商品やサービス)の販売価格の総額と同じです。販売して得たおカネの総額が所得の大元になっているのですから当然ですね。ですから、国民が所得のすべてを財の購入に当てるなら、生産した財は余ることなく売り切れ、人々に行き渡ることになります。すべての商品が売り切れるので、国民の所得はすべて企業の売上げとなります。企業の売上げは再び国民への所得となります。この状態ではデフレもインフレも発生することはありません。
ところが、もし受け取った所得を使わずに貯めたらどうなるか。貯蓄したらどうなるか。使わずに貯めたおカネの総額分だけ生産した財が売れ残ることになります。売れ残ると、販売総額が減ってしまいます。この販売総額が次の回における国民が受け取る所得の総額となります。つまり、売れ残った分だけ、次の回には所得が減ります。減った総額から、また一定の割合で人々が貯蓄すると、またもや売れ残りが生じ、販売総額が減り、国民所得が減少する。このようなスパイラルにより、貯蓄すればするほど国民所得は減少を続けます。そして生産される財の量も減り続け、人々はどんどん貧しくなってゆくのです。
貯蓄は人々を貧しくさせているのです。貯蓄は罪悪でもあるのです。
既存の常識を捨てることが重要
もちろん、何時いかなる時代にあっても貯蓄が罪悪であったわけではありません。日本が発展途上にあった頃、その頃は日本の総生産能力が人々の総需要に比べて低い状態にあり、生産能力を高めて人々の需要を満たす必要がありました。この場合、財の生産は消費財にすべて向けられるのではなく、生産設備の生産に向けられる必要があります。人々の生活物資を作るために日本の生産能力のすべてを振り向けるのではなく、工場や製造機械などの生産設備を拡充することが重要だったのです。資本主義経済において、おカネは投入資源の配分を決める道具でもあります。もし、この頃の日本人が貯蓄をせず、生活物資の購入にすべての収入を当てていたらどうだったでしょうか。すると生産能力のすべては消費財の生産に振り向けられてしまいます。生産力を高めるための生産設備の拡充はないがしろにされてしまいます。
しかし、日本人の高い貯蓄性向が貯蓄を増やすことになりました。この貯蓄は、消費財の生産を控えることにより、生産余力が発生した事を意味します。消費財を作らない分だけ生産設備に余力が生まれることを意味します。この余力を用いて日本は生産設備を次々に拡張し、現代日本の膨大な生産力を生み出したのです。おカネの側面から見れば、貯蓄は死蔵されることなく設備投資という名目で循環するカネの流れに加わったのです。国の発展途上において貯蓄は非常に有効で、生産設備を拡大することで人々を豊かにします。
ところが、現代の日本は生産力が有り余るほどに拡大してしまいました。こうなると、貯蓄は正反対の意味を持つようになります。前述のように、貯蓄で人々は貧しく、不幸になるのです。数学や物理学などと異なり、複雑系である経済問題の解は、環境条件が変わると正反対に変化したとしても不思議はありません。
おカネの本来の機能を取り戻せ
おカネの第一の機能は市場における財の交換です。これが十分に果たされていないことがデフレ不況の原因です。一方で第二の機能である貯蓄は異常なまでに膨らんでいます。実体経済つまり財の生産と分配であるGDPは500兆円ですが、金融資産という実体経済とは無関係の資産が1400兆円もあるのです。そして今も第一の機能は減り続け、第二の機能だけが膨張を続け、第一の機能をどんどん圧迫しているのです。
おカネを貯め込んでも人々は豊かになれません。おカネを循環させること、肥大化した第二の機能を抑制し、第一の機能を回復することこそ大切だと思います。
デフレの原因は財の生産に見合うだけのおカネが使われない事
おカネには二つの大きな側面があります。第一は市場における交換の媒体としての役割。市場における財の交換機能です。第二は価値の保存機能です。それが貯蓄です。市場を麻痺させている原因は、第二の機能である貯蓄にあります。おカネの本来の機能は第一の機能、つまり市場における財の交換の媒体としての役割です。もちろん第二の機能である貯蓄の機能も非常に大切です。財の生産や需要には個々に変動があるため、市場において、その変動による短期的な供給不足や需要不足を緩衝する機能を果たすからです。また社会全体の経済システムが安定しているなら、個人にとって事故などの環境変化による収入の減少、途絶などに備えて貯蓄は極めて有効です。ですから、ある程度の貯蓄は許されるべきで、むしろ推奨されるべきだと思います。しかし無制限に貯蓄するとどうなるか?社会に存在するおカネの量には制限があるため、おカネが貯め込まれてしまうと、第一の機能である「市場における財の交換」のために必要とされるおカネが足りなくなってしまうのです。これによりデフレーションが発生します。
現代の市場では物々交換という仕組みが失われたために、市場における交換は必ずおカネを媒介とするようになりました。国民の生産した様々な財(商品やサービス)は必ず市場を通じて人々に分配されますから、おカネは非常に重要であり、交換の媒体としてのおカネが不足すると、すぐに財(商品やサービス)の交換機能が失われ、片方で財が余ってしまう一方で、財が人々に行き渡らず不足するという事態が同時に発生します。つまり、「モノ余りとモノ不足が同時に起こり」ます。これがデフレ状態です。現代の日本でも、生産過剰と言われる一方でモノが不足した人々(貧困層)が増加する事態となっています。生産力があって工場が遊んでいる一方で、モノが手に入らない人々が増加するという奇妙な現象が発生するのです。これは資源の最適配分の問題ではなく、単に財の交換に使われるおカネの量の不足していることが原因なのです。
もし日本が社会主義の計画経済であれば、国が失業者を雇用して遊休工場を稼動させ、財を生産してその財を失業者に分配すれば貧困問題は解決します。ところが市場経済ではそういうことはできません。市場経済でこのような事態が発生する原因は、財の生産量に見合うだけの十分なおカネが財の交換に使われていない事によります。それ以外に原因は無いのです。なぜそのような事態が発生するのか?それは貯蓄です。
貯蓄が人々を貧しくする
マクロ経済において、国民が受け取る所得の総額(労働者の賃金、経営者の収入や株主への配当などをすべて合わせた総額)は、企業などで人々が働いて生み出した財(商品やサービス)の販売価格の総額と同じです。販売して得たおカネの総額が所得の大元になっているのですから当然ですね。ですから、国民が所得のすべてを財の購入に当てるなら、生産した財は余ることなく売り切れ、人々に行き渡ることになります。すべての商品が売り切れるので、国民の所得はすべて企業の売上げとなります。企業の売上げは再び国民への所得となります。この状態ではデフレもインフレも発生することはありません。
ところが、もし受け取った所得を使わずに貯めたらどうなるか。貯蓄したらどうなるか。使わずに貯めたおカネの総額分だけ生産した財が売れ残ることになります。売れ残ると、販売総額が減ってしまいます。この販売総額が次の回における国民が受け取る所得の総額となります。つまり、売れ残った分だけ、次の回には所得が減ります。減った総額から、また一定の割合で人々が貯蓄すると、またもや売れ残りが生じ、販売総額が減り、国民所得が減少する。このようなスパイラルにより、貯蓄すればするほど国民所得は減少を続けます。そして生産される財の量も減り続け、人々はどんどん貧しくなってゆくのです。
貯蓄は人々を貧しくさせているのです。貯蓄は罪悪でもあるのです。
既存の常識を捨てることが重要
もちろん、何時いかなる時代にあっても貯蓄が罪悪であったわけではありません。日本が発展途上にあった頃、その頃は日本の総生産能力が人々の総需要に比べて低い状態にあり、生産能力を高めて人々の需要を満たす必要がありました。この場合、財の生産は消費財にすべて向けられるのではなく、生産設備の生産に向けられる必要があります。人々の生活物資を作るために日本の生産能力のすべてを振り向けるのではなく、工場や製造機械などの生産設備を拡充することが重要だったのです。資本主義経済において、おカネは投入資源の配分を決める道具でもあります。もし、この頃の日本人が貯蓄をせず、生活物資の購入にすべての収入を当てていたらどうだったでしょうか。すると生産能力のすべては消費財の生産に振り向けられてしまいます。生産力を高めるための生産設備の拡充はないがしろにされてしまいます。
しかし、日本人の高い貯蓄性向が貯蓄を増やすことになりました。この貯蓄は、消費財の生産を控えることにより、生産余力が発生した事を意味します。消費財を作らない分だけ生産設備に余力が生まれることを意味します。この余力を用いて日本は生産設備を次々に拡張し、現代日本の膨大な生産力を生み出したのです。おカネの側面から見れば、貯蓄は死蔵されることなく設備投資という名目で循環するカネの流れに加わったのです。国の発展途上において貯蓄は非常に有効で、生産設備を拡大することで人々を豊かにします。
ところが、現代の日本は生産力が有り余るほどに拡大してしまいました。こうなると、貯蓄は正反対の意味を持つようになります。前述のように、貯蓄で人々は貧しく、不幸になるのです。数学や物理学などと異なり、複雑系である経済問題の解は、環境条件が変わると正反対に変化したとしても不思議はありません。
おカネの本来の機能を取り戻せ
おカネの第一の機能は市場における財の交換です。これが十分に果たされていないことがデフレ不況の原因です。一方で第二の機能である貯蓄は異常なまでに膨らんでいます。実体経済つまり財の生産と分配であるGDPは500兆円ですが、金融資産という実体経済とは無関係の資産が1400兆円もあるのです。そして今も第一の機能は減り続け、第二の機能だけが膨張を続け、第一の機能をどんどん圧迫しているのです。
おカネを貯め込んでも人々は豊かになれません。おカネを循環させること、肥大化した第二の機能を抑制し、第一の機能を回復することこそ大切だと思います。
2011年5月28日土曜日
7)借金を返すとおカネも消滅する
「借金を全部返すとおカネもすべて消滅する」財政再建をどうこう考える前に、まずこの事実をきちんと理解しておかなければなりません。「人々が借金をすべて返済すると、世の中のおカネもすべて消滅する」。民主党は明らかにこの事を理解していないのです。
なぜ借金をすべて返済するとおカネがすべて消滅するのか。それはおカネが借金の裏返しとして作られているからなのです。現在の金融制度はそういう仕組みなのです。そしてその仕組みを負債と資産の関係から表現したものがバランスシートです。
バランスシートは左側に資産、右側に負債を計上します。それらの合計は基本的にゼロになります。他の項目としてバランスシートにある純資産は後ほど考えるとして、基本的に負債と資産の合計はゼロになります。それはなぜでしょうか。おカネは銀行が作り出していますが、銀行の作るおカネは必ず借金と対になって生み出されるからです。銀行は貸し出しの際におカネとして「預金」=「資産」を作り出しますが、同時に同額の「借金」=「負債」も作り出しているからなのです。そして、負債は返済すると資産と相殺されて消えてしまいます。そうです、おカネとはもともと何も無いところからマジックのように作られたものなのです。これを信用創造と言います。だから返済すると消えるのです。
仕組みは簡単です。借り手から見た場合の借金つまり負債を-(マイナス)、おカネつまり資産を+(プラス)で表現した場合、100のおカネが生み出される手順は
0 → (+100) + (-100) です。
資産と負債が同時に生まれましたので、帳簿上は問題ありません。そして、それゆえに必ず資産と負債の金額は同じになります。そして負債は借り手に残り、資産は「預金」として世の中に流通し始めます。預金は、やがて借り手の借金返済により相殺されて消えるおカネなのです。現代の通貨制度では、おカネとは債権の一種なのです。これが、借金をすべて返済すると世の中からおカネがすべて消滅するという理由です。
しかし、もし世の中からすべてのおカネが消えてしまったら大変な事になります。ですから、今の金融制度ではすべての借金を返済することは不可能であり、必ず誰かが借金を続ける運命にあるのです。誰かが必ず借金をして利息を負担しなければならない。まず、この事実を確実に理解する必要があります。なぜ国の借金がなくならないか?その理由もここにあるからです。
2011年5月27日金曜日
おカネの価値など無意味
人々の豊かさはカネの価値で決まるのではなく、
人々に行き渡る財(商品やサービス)の量によって決まる。
人々に行き渡る財(商品やサービス)の量は、
カネの価値で増減するのではなく、
生み出される商品やサービスの量で決まります。
カネの価値が高くても、財が不足すれば
人々は貧しくなります。
デフレは財の生産を減少させるので貧しくなる。
インフレは財の生産を増やすので豊かになる。
もしインフレで貧しい人が増えるとすれば、
所得の再分配が機能していないためです。
高額所得者の課税を強化し、
通貨の再分配を図れば、
社会全体としては、必ず豊かになります。
生み出される財の量が増えれば、
必ず国民は豊かになる。
おカネの価値など関係ありません。
何を最優先に考えるべきか、
答えは誰にでもわかるはずです。
人々に行き渡る財(商品やサービス)の量によって決まる。
人々に行き渡る財(商品やサービス)の量は、
カネの価値で増減するのではなく、
生み出される商品やサービスの量で決まります。
カネの価値が高くても、財が不足すれば
人々は貧しくなります。
デフレは財の生産を減少させるので貧しくなる。
インフレは財の生産を増やすので豊かになる。
もしインフレで貧しい人が増えるとすれば、
所得の再分配が機能していないためです。
高額所得者の課税を強化し、
通貨の再分配を図れば、
社会全体としては、必ず豊かになります。
生み出される財の量が増えれば、
必ず国民は豊かになる。
おカネの価値など関係ありません。
何を最優先に考えるべきか、
答えは誰にでもわかるはずです。
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