<通貨の意味を問い直す時代に>
最近、日本銀行に対して金融緩和や国債引受の圧力が高まり、日銀はしきりに「円通貨を増やすと円が毀損する」と発言するようになりました。円の毀損とか日本売りなどの扇動的な表現が先行していますが、そもそも円の価値とは何でしょう。そして、円の価値は円を増やすと本当に毀損するのでしょうか?
おカネの価値は生産力で決まる
おカネには実需を満たすための何の価値もありません。おカネを持っているだけでは、空腹も満たせませんし、雨風をしのぐ事もできません。おカネを食べ物や住む場所と交換することで初めて人々は豊かな生活を送る事が出来ます。おカネがたくさんあっても、それと交換できる商品やサービスの量が不足していればおカネの価値は損なわれてしまいます。つまり、おカネの価値とは、交換可能な財(商品やサービスのこと)とおカネの量のバランスで決まることがわかります。基本的に、生み出される財の量は国内の生産能力によって決まるので、おカネの価値は財の生産能力によって担保されていることがわかります。
現代は経済のグローバル化が進んだため、財の供給は国内生産によってのみ行われるわけではありません。しかし、貿易で必要な財を輸入するためには、それに見合うだけの財を輸出する必要があるため(貿易均衡)、結局のところ国内の生産能力がおカネの価値を支えています。
円通貨を発行しないことが円を毀損する
ですから、もし日本銀行が現金を1円も発行しなかったとしても、日本の経済が不況のままで生産能力が崩壊を続ければ、円の価値は間違いなく毀損することになるのです。つまり円の価値を維持する方法は、円の発行を控えることではなく、財の国内生産力を高めることであることがわかります。財の国内生産力を高めるために円通貨の発行を増やした方が良いのであれば、円通貨の発行は円の毀損ではなく、むしろ円通貨の価値を維持するための積極的な行動であると捉えることもできるのです。経済は複雑な連立方程式であるため、円を発行することだけで円が毀損するという単純な事は起こらないのです。
円の価値が低下しても貧しくならない
多くの人は円の価値が低下すると生活が貧しくなると心配します。しかし実際には逆の現象が起きています。今の日本はデフレで円の価値はどんどん上昇していますが、国民生活は一部の富裕層を除いて苦しくなる一方です。人々の豊かさは円の価値で決まるのでは無いことが証明されているのです。では人々の豊かさは何で決まるのでしょう。これも財の生産力で決まります。
経済は生産と分配が基本です。市場経済の場合、分配を担うのが市場と通貨です。生み出された財の量と交換に用いられた通貨の総額の比率で価格が決まります。これがおカネの価値(おカネと財の交換レート)になります。交換の際に使われるおカネの総額が増加すれば交換レートが上昇してインフレとなります。しかしインフレになったとしても、生産された財はすべて交換されたわけですから、人々に分配され、人々が手にしたことになります。仮にインフレが毎年進行したとしても、生産され、交換される財の量が毎年増え続けるのであれば、人々が手にする財の量は増え続け、人々の生活は豊かになるのです。
つまり人々の豊かさはおカネの価値で決まるのではありません。より多くの財が生み出され、それが市場を通じてより多く人々に分配されることによって人々は豊かになります。おカネの価値とはその市場における財とおカネの交換レートに過ぎません。交換レート(おカネの価値)がどうなろうと、より多くの財が生み出され、より多くの財が交換されるなら何の問題があるでしょうか。
貧困はおカネの価値ではなくおカネの分配の問題
生産される財の量が増えるなら人々は必ず豊かになります。もしそうならないのであれば、それはおカネの価値の問題ではなく、おカネの分配の問題です。市場経済では財はおカネを介して分配されますので、おカネの分配が適切に行われなければ、せっかく大量に生産された財も必要とする人々に行き届かないことになってしまいます。これが貧困です。どれほど財の生産が増えて豊かな社会になっても、おカネの分配が適切に行われなければ貧困が発生します。貧困はおカネの価値が落ちるから発生するのではなく、おカネの分配が適切に行われないために発生します。逆にどれほどインフレになってもおカネの分配が適切に行われ、財の生産が円滑に行われるなら、貧困が発生することはありません。
積極的に円を毀損する必要アリ
デフレはインフレの逆で、おカネの価値が高い状態です。ではおカネの価値が非常に高い今の日本は豊かになったのでしょうか?実際には日本の生産力はデフレとそれを原因とする円高のために衰退しています。中国をはじめとする諸外国に生産拠点がどんどん移転しているのです。それでも日本が悲惨な状況に陥らないのは、移転しているのが低付加価値の商品の生産であり、生産総量が減少しても額で持ちこたえているからです。しかし低付加価値商品を生産してきた国内産業は壊滅し、失業者が溢れてしまいました。
このまま円の価値が高い状態が続けば、いよいよ高付加価値商品の生産も海外へ移転してしまうでしょう。産業の空洞化はTPPなどでカバーできるレベルではないのです(焼け石に水)。すると日本の生産能力は壊滅状態となります。それまで円の価値を支えてきた日本の生産力は崩壊し、円は為替市場において暴落することになります。
デフレで円が暴落、そして財政破綻。これが日銀のシナリオなのです。非常に危険です。これを防ぐためには、異常に高すぎる現在の円の価値を、むしろ積極的に毀損する必要があるのです。円を毀損することで、より深刻な円の毀損を食い止めることが出来る。禅問答でも何でもありません。経済は複雑なフィードバック・システムです。
民間銀行は円を毀損することで利益を得てきたのか?
円を増やすと円が毀損するというのであれば、民間銀行こそ円通貨毀損の元凶であると言えます。なぜなら、民間銀行は自らが保有する「現金」を元に信用創造という手法で「預金」というおカネを作り出しているからです。預金は現金と同じ扱いを受けていますので、その預金を作り出す行為は円通貨の毀損に該当します。現在の「預金」は「現金」の8倍くらいですから、民間銀行は円の価値を8倍も毀損したことになります。そしてこの預金を企業や個人に貸し付けることで銀行は利息を得てきました。ではなぜ円が暴落しないのか?それは、それに応じて生産と消費、つまり経済規模が拡大したからです。
つまりおカネを作り出すことが通貨の毀損であるという考えは根本的におかしいのです。おカネは経済規模の拡大に不可欠なものであり、おカネを増やさない限り経済は拡大しません。そればかりか、おカネを増やさない限り、銀行への利息さえ支払うことが出来なくなるのです(おカネの総額を利息の分だけ増やさないとシステムが破綻する)。
おカネを毀損するとかしないとか、そんなことは経済の本質ではありません。経済の大樹は生産と分配にあります。おカネはその道具に過ぎません。道具に振り回されること無く、本質を見据えたビジョンが今の日本に必要だと思います。
(つづく)
2011年3月27日日曜日
3)「おカネに価値がある」は都市伝説
<通貨の意味を問い直す時代に>
おカネの始まりは「物」
おカネというものが存在しなかった時代の人々は、基本的には自給自足だったでしょう。それでも、たとえば内陸に住む人が木の実や獣の干し肉などを携えて海岸に住む人の村へ行き、魚介類の干物などと交換するという、物々交換は行われていたと思われます。木の実も魚介類もそのものが消費財であり、それそのものに価値があります。しかし木の実などは秋にしか取れませんし、たとえば海の村に出かけたとしても、たまたま欲しい魚がなかったりするかも知れません。そこで、後から自分の欲しいモノと交換出来るように、一時的に別のものと交換しておけば良いと考えるでしょう。それに適しているのは、小さくて持ち運びに便利で保存が利き、多くの人にとって価値のあるもの。たとえば古代の日本では矢尻やその材料となる黒曜石などが交換の媒介に使われていたとの話もあります。これも実用品であると共に希少品ですから、それそのものに価値があります。後から欲しい物と交換できるという約束の証明だけであれば、そのものに価値が無くても良いですから貝殻なども使われたようですが、やはり、それそのものに価値が無いとダメだったのでしょうか、やがて金属を用いた貨幣が使用されるようになりました。金属は希少品ですから、そのものに価値がありますし、偽造することも難しくなります。その代表格は金貨でしょう。この時代の通貨はそれそのものに普遍的な価値がありました。これが今の紙幣とまったく異なるところです。
紙幣の誕生とおカネの価値の喪失
おカネの使用が始まってからも、人々の生活は基本的に自給自足が中心であり、分業化が進んだ現代のようにおカネが無いと生活できないということはありませんでした。おカネはごく一部の支配者層を中心とする都市部で利用されている程度のことでした。日本でも江戸時代は米が経済の中心だったと言います。
しかし商業が発達して交易が拡大するにつれておカネの需要がどんどん高まり始めました。おカネは携帯に便利で、しかも人々の間で普遍的な価値があったので取引の媒体として最適だったのでしょう。おカネの需要増に応えるために鉱山がどんどん開発されて、金や銀などが供給され、通貨がどんどん増えるようになりました。ところがそれでもおカネの供給量が間に合いません。市場経済は通貨を媒介にして、生産した財を取引で交換することによって成り立ちますので、取引量は取引に使用できるおカネの総量によって上限が決まります。また、金貨や銀貨を誰かが貯め込んでしまうとおカネが不足してしまいます。そしておカネが不足すると経済が停滞してしまいます。経済におけるおカネの重要性が高まってきました。
やがて銀行が生まれました。銀行は金貨や財宝を預かるための貸し金庫として始まったそうです。貸し金庫に金貨を預けるという貯金がはじまりました。貯金した人は、何かの支払いのたびにいちいち金庫を開けて金貨を持ち出すのは面倒でしたので、そのかわりに銀行が発行する、金貨の証明書を持ち歩いて、支払いなどに当てていました。これが紙幣の始まりです。紙幣は金貨を保管する銀行が、金貨の証文として発行したのが始まりで、携行が便利で安全でもあるためにおカネとして普及したのです。これが銀行券です。金貨と異なり紙幣には物質的な価値はありませんが、金貨と1対1で交換できるという裏づけがありました。交換比率は1対1です。やがて銀行は金貨のかわりに、この銀行券を人々に貸し付けることで利息を得るようになりました。
ところで、経済がどんどん拡大するにつれ、その経済活動を支えるために必要なおカネの量はどんどん増えていきました。多くの人が銀行からおカネ=銀行券を借りるようになり、金庫にある金貨の量をはるかに上回るおカネの需要が生まれてきました。そこで、紙幣と金貨との交換比率を下げることにしたのです。いよいよおカネの物質的な価値が消え始めました。同時に、このとき始めて「取り付け騒ぎ」という概念が生まれました。裏づけとなる金貨よりも多くの紙幣が発行されるようになったため、人々が一斉に紙幣を持って金貨と交換に銀行へ行くと支払いできる金貨が足りないのです。最初は金庫に預かっている金貨の3倍の紙幣を発行できる程度でしたが、やがてその比率はどんどん低くなってゆきました。つまり元となる金貨の量をはるかに超えるおカネが印刷されるようになりました。
管理通貨制度
それでも、この頃の通貨制度は「金本位制」と言って、紙幣はいくらかの金の裏づけを持っていたのです。ところが産業革命や科学技術の進歩で経済は爆発的に成長し、いよいよおカネが不足してきました。また国際貿易が活発化して貿易格差が拡大したために、世界的な金保有量の偏在という問題なども発生し、おカネの不足が経済を混乱に陥れるようになり、ついに、おカネを金の裏づけなしに自由に発行できる「管理通貨制度」になりました。管理通貨制度の通貨はいちおう何らかの資産の裏づけの上で発行してはいますが、それはすでにおカネそのものの価値とは完全に切り離され、形骸化されたと考えるのが自然です。ついにおカネはすべての物質的な価値を失い、人々がそれを「おカネ」と信じていることと、「法貨」として法律で支えられていることだけが根拠となったのです。
信用創造で膨らむあぶく銭「預金」
管理通貨制度によるおカネの発行は国立の銀行、つまり中央銀行の話です。日本では日本銀行です。しかし実際に世の中を流通しているおカネのほとんどは中央銀行が作ったおカネ、つまり「現金」ではありません。民間銀行は自ら保有する現金を元手に「預金」を作り出しますが、流通するおカネのほとんどをこの「預金」が占めています。預金とは、誰かにおカネを貸した際に作り出される債権であり、返済されるという「信用」が裏づけとなったおカネの一種(現金同等品)です。ですから預金は現金である「日本銀行券」などと根本的に異なる別のものです。銀行は保有している現金の10倍、20倍の預金を企業や人々に貸付けします。つまり預金とは誰かの借金なのです。この借金がめぐりめぐって私たちの給料として振り込まれたり、私たちが大切に貯金したりしているわけです。これが預金のしくみです。預金は「返済される」こと(信用)を前提として成り立つため、バブル崩壊などで多くの企業が返済できない状態になると、連鎖的に崩壊します。元となる現金はわずかなのに、返済をあてにして、その何倍も貸付を行うのですから当然のことです。ですから、もし取り付け騒ぎで預金者が預金を引き出しに行っても、そもそも銀行の保有する現金が足りるはずが無いのです。ちなみに「預金を引き出す」と言いますが、これは正確には預金を現金に交換する行為であり、預金はそもそも現金ではありません。預金とは単なる信用なのです。
「おカネに価値がある」は都市伝説
このように中央銀行が金貨の裏づけ無しで現金を自由に発行し、その現金を元に民間銀行がその何倍も企業や人々に預金を生み出して貸し付ける現在の通貨制度において、おカネに価値があるなどというのは都市伝説のようなものです。もちろん交換の媒体として、経済活動に果たすおカネの意味は非常に重要でしょう。しかしおカネそのものの価値は完全に喪失しました。未だに古典的なおカネの価値を信じる政治家も多いようですが、そのことが、現在の日本のデフレを長期化させ、泥沼から抜け出せない原因であるような気がします。
おカネに価値はありません。経済活動を活性化させるための「媒介」あるいは「記号」に過ぎないのです。おカネに対する古い常識を捨て、経済活動を活性化するために「あるべきおカネの姿とは何か」を考える時代なのではないでしょうか。 (つづく)
2011年3月5日土曜日
2)「欲しい物が無いから需要が増えない」はウソ
<通貨の意味を問い直す時代に>
需要はおカネが支える
「人々はおカネを持っているが、世の中に欲しい物が無いから需要が増えない。」との主張が聞かれます。おカネが不足しているのではない、おカネをいくら供給しても需要は伸びない、だからデフレは解消しないという主張です。しかし世の中に魅力的な商品があるかないかで景気が変動するなど聞いたことがありません。景気の巨大な変動は「欲しいモノの有無」で説明ができません。もちろん魅力的な商品が登場すれば、その商品の需要は拡大しますが、他の商品の需要が同時に伸びるという根拠にはなりません。国民一人当たりの購買力が変化しなければ、むしろある特定の商品が売れるようになった結果、他の商品が買い控えられることになり、社会全体の需要を押し上げることにはなりません。ですから規制緩和や新産業の育成により魅力的な商品が生まれたところで、国民の購買力、つまり国民所得が増加しなければデフレは解消しません。
一方で、好景気は必ずバブルを伴っています。高度成長期には土地神話を背景とする土地バブル、1990年頃の日本のバブルは加えて株バブル、その後のアメリカのITバブル、サブプラムローンなどのバブル。いずれも日本や世界がバブルで好景気に沸き立っていました。バブルは資産価格が連続的に高騰する状態ですが、その際には大量の信用通貨=預金が生み出され、それらが市場における資産の売買を通じて通貨のフロー系に大量に流れ込みます。国民所得とはフロー系で成り立つため、バブルにより国民所得が直接に向上し、購買力が高まります。しかも需要の増大でインフレが発生するために、おカネを貯蓄するよりも、モノに変えた方が得になるため、デフレ期のように貯蓄が増えて消費が停滞することはありません。企業の設備投資は旺盛な消費に支えられて拡大します。まさに好景気です。
ストック系はおカネがじゃぶじゃぶ、フロー系はカラカラの金欠
つまり好景気を支えているのは新産業でも規制緩和でも何でもありません。バブルによって生み出される大量の預金通貨により需要が生み出されるのです。しかも、おカネがフロー系に流れ込むことが重要です。まずこの事を明確に認識する必要があります。バブルで生まれたおカネは不動産や株式の売買を通じてフロー系に流れ込みます。これが好景気を支えます。確かに現在も日銀の金融緩和により大量の現金を民間銀行に流し込んでいますが、これはストック系のおカネを増やしているだけです。ストック系のおカネがフロー系に流れ込むには「誰かが借金をしなければならない」のです。デフレがここまで悪化してしまった日本では、誰も借金など好き好んでするはずがありません。つまりストック系にはじゃぶじゃぶに現金が溢れていますが、フロー系はカラカラに干からびた金欠状態が続いているのです。これが根本的に問題です。
ですから日本銀行が金融緩和政策でストック系の現金の量を増やすよりも、この現金を直接にフロー系へ流し込むことが、より効果的であることがわかります。つまり増やしたおカネを、これからの日本を支えるための社会資本や基幹産業の育成に投資することで雇用も同時に生み出し、買い物割引クーポン券やエコポイントの拡大で国民の購買力を直接に底上げするなどの、フロー系を直接活性化するための財政政策が必要です。そのためには、現金を大量に供給する必要があり、それは日本銀行が国債を直接に引き受けることで可能となります。
バブル期でもハイパーインフレは起きなかった
日銀が国債を直接に引き受けると「ハイパーインフレ」という話が必ず出てきますが、それではなぜ「バブルがハイパーインフレを引き起こす」と主張しないのでしょうか。国債引受は日銀がおカネを作る行為ですが、バブルは民間銀行がおカネを作る行為です。同じ信用創造なのになぜ日銀の信用創造はハイパーインフレと主張し、民間銀行の信用創造は何も言わないのか?しかも日銀の発行するおカネより銀行が作り出す預金通貨の方がはるかに多いのです。そして、バブルで何度も経験しているように民間に通貨供給を依存するとノーコントロールとなり無制限に膨張して崩壊してしまう。こちらの方がはるかに問題です。景気が回復して好景気になればインフレになるのは当然です。しかしインフレとハイパーインフレは根本的に違うものです。供給能力が十分にある状態(むしろ過剰供給)でハイパーインフレが発生した前例など聞いたことがありません。インフレとハイパーインフレは発生する危険度もメカニズムも異なると考えるべきです。
デフレが解消しなければ新産業の育成も規制緩和も失敗する
新産業の育成も規制緩和も必要でしょう。しかしそれはデフレ不況の下では極めて低い成果しかあげることはないでしょう。新産業によりどれほど魅力的な商品やサービスが生まれても、国民所得が向上しなければそれらは売れることがありません。売れたとしても従来商品と単にシーソーゲームをするだけです。また規制緩和で生産性が向上すれば、逆に人手が余るために失業率が上昇し、国民所得が減少して景気がますます悪化してしまいます。それらの余剰労働力を吸収するための新産業は、好景気でなければ成長できません。新産業の育成も規制緩和も必要ですが、それでデフレを克服することは不可能で、逆にデフレを脱却した後にこそ、それらを強力に推進する意味があるのです。
(つづく)
2011年2月27日日曜日
1)デフレは財政再建のチャンス?
<通貨の意味を問い直す時代に>
国債が支える現在の日本の経済
現在の日本はデフレです。需要が冷え切って物が売れず、企業の投資も非常に低調なためにおカネが世の中に回らない状態が続いています。そんな中で、政府が国債によって家計や企業のおカネを吸い上げて需要を生み出すことで、かろうじてデフレ大恐慌を防いでいる状況です。その仕組みは以下のようなものです。
①家計や企業の貯蓄から国債としておカネを集めて国が投資する
②そのおカネで財が生産される、国の豊かさは維持される
③そのおカネは家計や企業の貯蓄となる
④その貯蓄から国債としておカネを集めて国が投資する
⑤永久に国債は膨張するが、経済は循環する
以上の仕組みから以下の二つのことがわかります。
A)国債に依存しても、おカネの循環が維持されれば人々の生活は保たれる。
B)家計や企業の資産が膨張し続け、国債も破綻するまで膨張し続ける。
おカネと財の生産
A「国債に依存しても、おカネの循環が維持されれば人々の生活は保たれる。」の現象は、借金だろうがなんだろうが、おカネがあれば生産力は維持・拡大され、人々の生活が向上することを意味しています。これはおカネの本質的な機能である「財の交換」が働くためです。この場合のおカネは国債に基づくものでも良いし、新規に発行された通貨でも良いし、下手をするとニセ札でも同じ効果があります。つまり、おカネには本来価値はなく、価値あるものと人々がみなすことで、それが動機となって人々が働いて、本物の価値である財(商品やサービス)が生み出される。おカネさえあれば、それがニセ札であろうと、財を生み出し人々を豊かにする。生産力が活かされる。これが通貨の循環系、フローと呼ばれる部分です。おカネが流れること、循環通貨の流れに乗って生産活動が行われます。ですからおカネを刷り続ければ経済が成り立つ。これは明白な事実です。実際にアメリカの経済はドルの信用を背景にすさまじい量のおカネを刷る事で維持されているわけです。財を生産し、人々の生活を豊かにしてくれるのは、おカネの流れ、循環通貨です。循環する通貨の量は名目GDPの額と同じであり、名目GDPの成長とは循環する通貨の量が増えることです。循環系はおカネの本質的な機能です。
貯蓄という問題
B「家計や企業の資産が膨張し続け、国債も破綻するまで膨張し続ける。」の問題は要するに財政赤字問題ですが、これはおカネの調達を国債ではなく通貨の新規発行でまかなうことで簡単に解決します。政府の財源を通貨発行でまかなってはいけないというのは単なるルールに過ぎないからです。しかしこれによって財政赤字の問題は解決する代わりに、新たな問題~C)通貨は永久に増え続け、家計と企業の貯蓄も永久に膨張し続ける~が発生します。
貯蓄はストックと呼ばれるものです。このストックは幾ら増えても財を生み出すことはありません。ゆえに貯蓄はおカネの本質ではなく、副次的な機能です。フロー系が筋肉だとしたら、ストック系は皮下脂肪です。飢えに備えるためにはいくらか必要ですが、増えすぎると経済に成人病をもたらします。なぜ貯蓄が増え続けるのでしょうか。国内生産力がまだ不十分だった高度成長期の頃の日本では、経済成長に伴う循環通貨の膨張が必要でしたから、投資という手段で、膨張する循環通貨から利息を得ることは簡単でした。ですから、貯蓄されたおカネは投資として通貨の循環系、フローへ投入され、それが生産と消費を押し上げることで経済成長を支えてきました。しかし生活水準がある程度満足できるレベルに達した現在の日本では、高度成長期のように爆発的に需要が伸びることは難しく、それどころか、日本は世界的に異常とも言える長期デフレに突入したままです。デフレとは循環する通貨の膨張が止まり、逆に減少する状態です。循環通貨の膨張の無いところに利息は生まれませんから、デフレ経済で投資する奇特な人はいません。つまり経済がデフレであり続ける限り、家計と企業の貯蓄は投資に振り向けられることは無く、永久に膨張を続けるのです。
デフレが続く限りおカネを刷り続ける事が出来る
おカネを刷ってフロー系に投入すれば、財が生み出されて人々は幸福になる。一方で家計と企業の貯蓄が無限に増大する。もし、この構造がそのままずっと続くのであれば、実は問題は何もありません。全員がハッピーです。まずこの事をしっかりと認識する必要があります。おカネを刷り続ける事が道徳的におかしいとか、そういう常識問題で考えることは無意味です。常識はしばしば本質を見誤らせます。フロー系をいかに活性化させて人々を幸福たらしめるか。そのためにこそおカネの存在価値があるはずです。問題が発生するとすれば、家計と企業が貯まったおカネを使おうと考え始めたときに発生します。おカネを使おうと考えるとは、需要がどんどん高まることですから、つまり好景気です。好景気になると、貯まったおカネが需要に向けられますので、それをカバーするだけの国内生産力や輸入が確保できなければインフレになります。逆に永久に日本が好景気にならないのであれば、永遠におカネを刷り続けても問題ないことになります。
デフレは財政再建のチャンス
巷には「デフレは不可避」「少子高齢化でデフレ」という話が続々と流れてきますし、日銀もデフレに誘導しているようですから、日本経済は永久にデフレ不況かも知れませんね。デフレ不況である限りは、貯蓄は消費に向けられる心配はありません。しかもデフレは永久に続くという論調が支配的ですから、これはおカネを刷り続けることのできる絶好のチャンスでしょう。つまり、日本のデフレは不可避で永久に続くという論が、通貨の永久増発の根拠なのです。国債の新規発行はただちに中止し、財政再建のために通貨を発行すべきです。デフレが永久に続くのであれば、これは財政再建のチャンスなのです。
本当にデフレは永久に続くのか?
通貨を発行し続ければ必ずデフレは脱却できます。ですから実際にはすべての財政赤字を通貨発行で埋め合わせる前に、デフレが解消されますから、それ以上の通貨発行は不可能になるはずです。もしデフレが続くのであれば、すべての財政赤字を通貨発行で返済でき、さらに財源をすべて通貨発行に頼る無税国家が誕生してしまいます。
(つづく)
2011年1月30日日曜日
財政再建で何が起きるか国民は知らなすぎる
マスコミの書かないことを書きます。公然の秘密なので、書くのは少々危険なのですが。まず、しっかり理解しておかねばならないことがあります。それは、
通貨は負債として生まれる。ゆえに、利息を支払うため通貨総量は膨張し続けなければならない。
ということです。世の中を流通している、いわゆる「おカネ」の大部分は預金です。現金はほとんどありません。では世の中のほとんどのおカネである「預金」はどのようにうまれるのでしょう。日銀が発行する?いえ違います。それは銀行が企業や人々に貸付を行うことで「信用通貨」として生まれます。
簡単に言えば、誰かが借金をすることで、その借金したおカネが世の中を回っているということなのです。だから、このおカネは借金を返済すると消えてしまいます。もう少し詳しく見てみましょう。銀行はBS(バランスシート)という帳簿を用いておカネを作り出します。BSの左(資産)にあるのが貸付金。右(負債)にあるのが預金です。Aさんに銀行が貸付を行う場合、左の貸付金(資産)の金額を増やすと同時に、右の預金(負債)の項目を同額だけ増やします。このときに預金=おカネが発生します。不思議な気がしますが、これがおカネです。そしてこの預金の名義をAさんに移すと貸付完了です。このように銀行が貸し付けを行う際にはBSの中の右と左は同額、貸付金額と預金金額は同じになっています。世の中の銀行全体の貸付総額と預金総額も同じになっています。そして返済するときは左の「貸付金」と右の「預金」を相殺して、おカネは消えてしまいます。不思議な気がしますが、そういうことです。
問題はここからです。借りたおカネは利息を付けて返済しますが、利息のおカネはどこから生まれるのでしょう?やはり誰かが借りた借金から生まれることになるのです。借りたおカネより返すおカネの量が常に多い。ということは貸付金額を増やし続けなければ成立しないのです。もう少し詳しく見てみましょう。返済する金額は貸し付けた金額に利息が加算されますので、貸付総額より多くなっています。返済する金額の総額が預金総額より大きくなるため、計算上は返済できないはずです。ではなぜ返済できるのか。貸付から返済までには時差がありますから、この間に預金の総額が利息の支払い分だけ増えていれば返済できると考えることが出来ます。すなわち、利息を返済するためには常に預金を増やす必要がある、そのためには貸付金を増やし続ける必要があるのです。つまり通貨の量を膨張させ続ける必要がある。これが、銀行制度が右方上がりの経済成長でしか成り立たない理由なのです。そしてこの経済成長は名目であっても成り立ちます。
そのことを理解している世界はインフレターゲットを用いて、常に一定のレベルで通貨を膨張させており、名目経済成長率を維持していると考えられます。これによりデフレに陥る危険性を回避しています。ところが日本ではインフレターゲットを用いていないため、膨張する通貨の量が少なすぎるのです。そのため借金の返済によりおカネが不足して深刻なデフレに陥っています。実際、企業の借金はバブル崩壊後減り続け、なんと300兆円以上も減っているのです。これほどのおカネが世の中から消滅すると経済は大混乱になるはずですが、そこまで酷い状態にはなっていません。なぜなら、企業の代わりに国が借金を700兆円増やしているからです。逆に400兆円もおカネが増えたのだからインフレになると思われますが、その間に家計が金融資産として400兆円も貯め込んでしまったのでインフレは発生しませんでした。つまり、銀行が300兆円も借金を減らし、家計が400兆円も資産を増やせたのは、合計700兆円を国が借金してくれたおかげなのです。もし国が借金をしていなければ、日本はすでに滅茶苦茶なデフレで経済が破綻していたはずです。永久に借金は無くなりません。借金がなくなるとおカネが世の中から消滅して経済が破綻します。
こんな状態なのに、財政再建で国の借金をゼロにするという計画が実行に移されると何が起きますか?家計の金融資産400兆円が吹っ飛び、民間企業は300兆円の借金を増やさねばなりません。「誰かの資産は誰かの負債」という現在の金融システムである「バランスシート(BS)」に基づいて考えれば、必然的にこのような結論になります。
BSの仕組みをよく理解している「企業」はいち早くそのことに気付いています。借金をさせられてはたまりませんので、日経連は「増税」を支持しているのですね。もし企業が借金を増やさないというのであれば、それはすべて家計に降りかかることになります。合計700兆円の資産が家計から吹っ飛びます。財政は黒字化しますが、経済は不況のどん底に叩き落されます。
それを受け入れる覚悟が国民にあるのであれば、どうぞ財政再建を押し進めてください。
国家経済は家計簿ではありません。国の負債を返す必要はないのです。現在の金融システムは資産と負債を増やし続けなければ成立しません。BSを永久に拡張し続ける必要があるのです。問題は負債を返済することではなく、現在の金融制度に適合してバランスをとることなのです。
通貨は負債として生まれる。ゆえに、利息を支払うため通貨総量は膨張し続けなければならない。
ということです。世の中を流通している、いわゆる「おカネ」の大部分は預金です。現金はほとんどありません。では世の中のほとんどのおカネである「預金」はどのようにうまれるのでしょう。日銀が発行する?いえ違います。それは銀行が企業や人々に貸付を行うことで「信用通貨」として生まれます。
簡単に言えば、誰かが借金をすることで、その借金したおカネが世の中を回っているということなのです。だから、このおカネは借金を返済すると消えてしまいます。もう少し詳しく見てみましょう。銀行はBS(バランスシート)という帳簿を用いておカネを作り出します。BSの左(資産)にあるのが貸付金。右(負債)にあるのが預金です。Aさんに銀行が貸付を行う場合、左の貸付金(資産)の金額を増やすと同時に、右の預金(負債)の項目を同額だけ増やします。このときに預金=おカネが発生します。不思議な気がしますが、これがおカネです。そしてこの預金の名義をAさんに移すと貸付完了です。このように銀行が貸し付けを行う際にはBSの中の右と左は同額、貸付金額と預金金額は同じになっています。世の中の銀行全体の貸付総額と預金総額も同じになっています。そして返済するときは左の「貸付金」と右の「預金」を相殺して、おカネは消えてしまいます。不思議な気がしますが、そういうことです。
問題はここからです。借りたおカネは利息を付けて返済しますが、利息のおカネはどこから生まれるのでしょう?やはり誰かが借りた借金から生まれることになるのです。借りたおカネより返すおカネの量が常に多い。ということは貸付金額を増やし続けなければ成立しないのです。もう少し詳しく見てみましょう。返済する金額は貸し付けた金額に利息が加算されますので、貸付総額より多くなっています。返済する金額の総額が預金総額より大きくなるため、計算上は返済できないはずです。ではなぜ返済できるのか。貸付から返済までには時差がありますから、この間に預金の総額が利息の支払い分だけ増えていれば返済できると考えることが出来ます。すなわち、利息を返済するためには常に預金を増やす必要がある、そのためには貸付金を増やし続ける必要があるのです。つまり通貨の量を膨張させ続ける必要がある。これが、銀行制度が右方上がりの経済成長でしか成り立たない理由なのです。そしてこの経済成長は名目であっても成り立ちます。
そのことを理解している世界はインフレターゲットを用いて、常に一定のレベルで通貨を膨張させており、名目経済成長率を維持していると考えられます。これによりデフレに陥る危険性を回避しています。ところが日本ではインフレターゲットを用いていないため、膨張する通貨の量が少なすぎるのです。そのため借金の返済によりおカネが不足して深刻なデフレに陥っています。実際、企業の借金はバブル崩壊後減り続け、なんと300兆円以上も減っているのです。これほどのおカネが世の中から消滅すると経済は大混乱になるはずですが、そこまで酷い状態にはなっていません。なぜなら、企業の代わりに国が借金を700兆円増やしているからです。逆に400兆円もおカネが増えたのだからインフレになると思われますが、その間に家計が金融資産として400兆円も貯め込んでしまったのでインフレは発生しませんでした。つまり、銀行が300兆円も借金を減らし、家計が400兆円も資産を増やせたのは、合計700兆円を国が借金してくれたおかげなのです。もし国が借金をしていなければ、日本はすでに滅茶苦茶なデフレで経済が破綻していたはずです。永久に借金は無くなりません。借金がなくなるとおカネが世の中から消滅して経済が破綻します。
こんな状態なのに、財政再建で国の借金をゼロにするという計画が実行に移されると何が起きますか?家計の金融資産400兆円が吹っ飛び、民間企業は300兆円の借金を増やさねばなりません。「誰かの資産は誰かの負債」という現在の金融システムである「バランスシート(BS)」に基づいて考えれば、必然的にこのような結論になります。
BSの仕組みをよく理解している「企業」はいち早くそのことに気付いています。借金をさせられてはたまりませんので、日経連は「増税」を支持しているのですね。もし企業が借金を増やさないというのであれば、それはすべて家計に降りかかることになります。合計700兆円の資産が家計から吹っ飛びます。財政は黒字化しますが、経済は不況のどん底に叩き落されます。
それを受け入れる覚悟が国民にあるのであれば、どうぞ財政再建を押し進めてください。
国家経済は家計簿ではありません。国の負債を返す必要はないのです。現在の金融システムは資産と負債を増やし続けなければ成立しません。BSを永久に拡張し続ける必要があるのです。問題は負債を返済することではなく、現在の金融制度に適合してバランスをとることなのです。
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