2012年2月25日土曜日

経済成長が必要なのは借金の金利返済のため

「日本には名目経済成長が必要」と主張すると「右肩上がりの成長は環境に良くない」とか「成長しなくても持続可能な社会が良い」などの批判が出るようです。しかし名目経済成長しなければ経済は破綻します。それは金融制度に依存する現代経済の宿命だからです。

世の中のおカネはすべて銀行からの借金

なぜ右肩上がりの成長が必要なのか?それを理解するためには金融制度を知らねばなりません。しかしほとんどの日本人は金融制度についてまるで無知です。世の中のおカネがすべて銀行からの借金で出来ているという基本的な事実すら知らない人が多いのです。

世の中のおカネはすべて借金から出来ています。そもそも日本銀行が「金融緩和した」といいますが、では緩和によって作られたおカネはどのようにして世の中に出てくるのでしょう?作られたおカネはすべて民間銀行が日本銀行に持っている日銀当座預金という口座に振り込まれます。民間銀行はこの口座の残高の十数倍のカネを「預金」という名目で貸し付けることができます。これが信用創造と呼ばれます。このように民間銀行が「預金」を作り、それを企業や個人に貸し付けることで初めておカネが世の中にでてきます。つまり銀行に借金する人がいなければ、世の中にはおカネがほとんど存在しなくなるのです。

世の中のおカネはすべて借金であるため、おカネには必ず利息の支払いが付いて回ります。利息支払いの無いおカネはこの世に存在しないのです。預金者の預金通帳にある預金には利息が付きますが、この預金もそもそもは誰かが借金した結果できたおカネなので、その裏側ではだれかが借金をして、預金者と銀行に利息を払っているのです。これが預金制度の実態です。

借金しなければ維持できない経済

すぐにわかる事ですが、借金を借りる時より返す時の方が利息の分だけ多くなるはずです。社会全体で見た場合、世の中のおカネの総量が借金の返済分だけ常に増えなければ成り立ちません。すべてのおカネが借金から出来ていると言うことは、返済する利息の分はどこから生まれるのでしょうか?それもまた借金なのです。だから借金の利息を返済するためには、常に新たに借金を増やす必要がある。つまり現在の金融制度は、永久に借金を増やし続けなければ経済を維持できないシステムであることがわかるのです。

もし借金を増やさないとどうなるか?借金の返済によって世の中のおカネがどんどん減少する、つまりデフレになるのです。だから日本もデフレなのです。しかし世の中のおカネが劇的に減少していないのはなぜか?企業や個人が借金をしなくなった分だけ、日本政府が借金をすることでおカネの総量を支えているのです。もし国債を減らしたら?悲惨なデフレ地獄になるでしょう。現在の金融制度では、政府の借金は避けられません。そして誰かが借金を背負って世の中のおカネを増やし続けない限り、経済はデフレになり、借金の返済はますます難しくなるのです。

名目成長と実質成長はまるで別物

多くの人がGDPの名目成長と実質成長の違いを理解していません。「経済成長は環境に良くない」「日本は経済成長できない」というばあい、それが名目成長を指すのか、実質成長を指すのかで、まるで意味が違うと考えてよいでしょう。

「GDPの名目成長」とは国内の全ての取引金額を合計したものです。ですから物価が上昇すると、取引される商品やサービスが値上がりしますから、GDPの合計金額も増えます。つまり物価が上昇しただけで名目成長してしまうのです。しかし、物価が上昇しただけで取引された商品やサービスの量や質が増えたのでなければ、実質的には何も成長していないことになります。一方、実質的な商品やサービスの量や質の増加を捕らえるのが「GDPの実質成長」であり、これは名目成長率から物価上昇分を差し引く事で求められます。

実質成長を目指すなら、実質的な商品やサービスの量や質の増加に伴い、確かに環境への負荷が増加する可能性がありますし、生産年齢人口が減少を続けるならば、生産性を向上させ続けない限り実質成長はできません。ですから、実質成長で考える場合には「経済成長は環境に良くない」とか「日本は経済成長できない」という事が無いとは言い切れません。しかし、名目成長は実質的に生産される商品の量や質が変化しなくとも、デフレを脱却してインフレになるだけで達成します。名目成長は物価上昇すれば達成するのです。そしてFRBが先日明言したように「物価は金融政策でコントロールできる」。デフレの日本で名目成長を高める方法は金融緩和、つまり通貨供給なのです。

インフレで名目成長すると庶民の生活は苦しくなるのか?そんな事はありません。物価上昇は市場で商品が売れる事によって初めて引き起こされる、つまり国民の可処分所得の増加が必ず伴います。可処分所得の分配が適度に公平であればインフレによる生活への影響はほとんどないか、デフレで使われていない生産力が20兆円以上もある現状では、実質的な財の生産を増加する事で、むしろインフレ率より可処分所得の伸び率が増加する事さえあり得るのです。

経済の名目成長は避けられない宿命

経済が名目成長するということは、世の中のおカネが増えることを意味します。世の中のおカネが増えることで借金の金利を返済することができるようになるのです。実質であれ名目であれ、経済成長は通貨の膨張を伴い、通貨の膨張こそが金利の原資となるのです。

一部新聞やマスコミでは「日本経済の名目成長を否定」する論調があるといいます。とんでもない話です。世の中のおカネがすべて銀行からの借金で出来ているという現在の金融システムにおいて、経済が名目成長しなければ、どうやって銀行に金利を返済するつもりなのか? 誰かが借金を背負っておカネを増やし続けなければ破綻する経済システムなのに。

名目成長が良いとか悪いとかいう議論はそもそも意味がない。
経済が名目成長しなければ、銀行への金利返済のために経済は押しつぶされてしまうでしょう。

2012年2月19日日曜日

貯蓄は将来世代へのツケ

「政府の借金を増やせば将来世代にツケをまわす」という話が垂れ流されている。では、借金ではなく貯蓄を増やせば将来世代は豊かになるのでしょうか?答えはNOです。過剰な貯蓄もまた、将来にツケを回している行為であると考えられるからです。

個人にとって良い事でも、日本経済にとって良いとは限らない

合成の誤謬という言葉が知られています。たとえばデフレがそうです。個人にとって物価が下がる事は、同じおカネの量でより多くの消費財を手に入れることができるから良い事です。しかし市場経済におけるマクロ経済全体としてみた場合、物価の低下はおカネの循環を低下させ、個々人の所得を低下させる事で、かえって人々を貧困化させる。このような現象を合成の誤謬と呼びます。

貯蓄にも同様の性質があります。個人にとって貯蓄は非常に有益です。これに関してはコメントするまでもありません。持ち家購入のための資金積み立て、失業や老後への備えなど個人にとって貯蓄は欠かせません。しかしマクロ経済から見てどうなのか?この事がマスコミで真剣に議論される事はありません。「おカネ」とは、人々に疑問を抱かせてはならない分野だからです。

高度成長期は貯蓄が極めて有効だった

高度成長期の日本において、人々の熱心な貯蓄は資本主義経済のシステムに非常に良くマッチし、日本経済の堅実な成長を促進したと考えられます。貯蓄と投資はおカネの運用ですが、別の視点から見ると「生産力の配分を決める行為」です。おカネは生産活動と極めて密接な関係があり、おカネを生産力と読み替えることが可能です。

高度成長期において人々は所得を高い割合で貯蓄しました。所得を貯蓄するということは、実は経済において需要が減少することを意味します。所得のすべてを消費すれば、それだけ多くのモノが売れるわけですが、逆に貯蓄すればそのぶんだけモノが売れなくなるのです。モノが売れなくなると生産力が余ります。今の日本で生産力が余ると失業者が増えますが、高度成長期の日本ではその余剰生産力が設備投資という現象を介して「生産設備を作る事」に振り向けられていたのです。

もし日本国民の多くが、手にした所得を貯蓄ではなく消費に使っていたら?日本の生産力のほとんどが人々の消費財を生産するために使われることになります。すると消費財ばかりが作られて、生産設備はあまり作られない事になり、生産力は拡大しません。生産力が拡大しない状況で需要だけが伸びると供給不足からインフレが発生します。これでは経済は成長できません。しかし日本人は浪費を良しとせず、倹約して貯蓄に励んだため、過度に需要が増えすぎることなく、インフレも低く抑えられ、貯蓄により余った生産力を生産設備の拡大に振り向けることができたと考える事が出来ます。

そして投資されたおカネは国民に給与として支払われ、その一部が再び貯蓄として蓄えられる。貯蓄と投資がうまくまわっていました。人々が浪費せずに地道に生産力の向上に励んだことから日本はやがて圧倒的な生産力を手に入れ、その強力な生産能力ゆえに物質的な豊かさを享受できるようになったのです。日本が豊かになったのは、決して円が強くなったからでも国民の金融資産が1400兆円になったからでもありません。日本の生産力が富をたくさん産み出すようになったからです。

現代では貯蓄はデフレの原因

高度成長期は円安による高い輸出競争力や内需の拡大もあり、貯蓄と投資は順調に回っていました。しかし近年の日本はデフレ不況が深刻で国民の消費は伸び悩み、生産力が余っています。金融資産は1400兆円もあるのに使われません。しかも円高で外需が減りデフレで内需が低迷していますから、投資は行われず、余った生産力を活かす方法が無く、そのままダイレクトに失業へとつながります。国民が将来のためにと、せっせと貯蓄すればするほど生産力が活かされず、失業が増え、景気は低迷してますます日本の将来をあやうくしているのです。ですから、貯蓄が日本経済にとって良かった時代は終わり、貯蓄がデフレ不況の原因となる時代になったのです。

貯蓄は将来において清算されるツケ

貯蓄とは、将来において生産されるモノと交換できるという権利です。いま現在において存在していないモノと交換できる権利です。ですから、将来において要求があれば、そのモノを新たに生産しなければならないのです。将来の生産能力に負荷をかける事になるのです。もし将来においておカネが消費に向けられたなら、それに見合うだけの十分な生産力が無ければ供給不足となりインフレが発生します。デフレを放置して生産力が疲弊した日本で十分な供給を維持できるでしょうか。つまり貯蓄のツケは将来におけるインフレとなって将来世代が支払う事になる可能性があるのです。そもそも「いま現在において存在していないモノと交換できる権利」とは不自然だと思いませんか?しかもその権利は永久に続くのです。

もし貯蓄がおカネではなく、モノで行われるなら、それは将来世代のツケにはなりません。将来の生産力に負荷をかけることで物不足のインフレを引き起こすという心配は無いからです。たとえば住宅やインフラなどの社会資本という形で富が蓄財されてゆくなら、それはむしろ将来における生産能力の負担を軽減する事になるのです。モノによる貯蓄こそが将来の世代の豊かな生活につながる。生産力が余っている今の日本ですべき事は、その生産力をただ腐らしてしまうのではなく、それを活用し、将来の世代に引き継がれる本当の意味での「貯蓄」を残してあげる事なのです。いくらおカネを残しても、それは将来に負担となるだけなのです。

本当の貯蓄とは何か?それはおカネを貯める事ではありません。


2012年2月12日日曜日

年金財源のために若者を貧困化する愚行

財源をカネの収支側面からしか見る事の出来ない財務省と野田増税内閣。このような安易で知的怠慢な連中に国政を任せていると、日本経済は確実にジリ貧となり、将来世代のツケは恐ろしいほど過酷となる危険性が高いのです。

人々の生活を支えるのは「カネ」ではなく「モノ」です。モノすなわち消費財の生産力こそが国民を支え高齢者を支えるのです。ゆえに年金財源を議論するなら、生産力の最大化の視点から考えなければ無意味なのです。カネの収支をあわせることが年金財源を考える事ではないのです。ところが財務省と野田増税内閣は、富を産み出す力を増やすことより、増税で帳尻を合わせることしか頭に無い。

「税と財政」は生産力の配分計画である

税とは富の再分配であるが、その実態は通貨を介した国内生産力の配分計画であることがわかります。日本の生産力をどこに振り向けるのか?それが税と財政政策で決まるのです。そのシステムは以下のように考える事ができます。

税を集めるとはどういうことか?税として徴収されなければ、消費に向けられていたはずのおカネが国民の財布から政府へと移転します。すると本来は国民が消費したであろう分野の商品が売れなくなります。たとえば、おカネが無くなったのでパソコンを買わなくなったとすると、パソコンが売れなくなり、パソコンの生産量が減ります。するとパソコンを生産していた分の生産力が余ります。仕事が減って労働者が失業します。

次に、国民から集めた税を財政政策で公共事業に、たとえば橋の建設に使用したとします。橋を作るためには生産力が必要で労働者が必要です。パソコンの生産が減ったことで余った生産力が橋を作るために投入される事となり、パソコンの生産が減った事で生まれた失業者がここで吸収されます。単純にいえばそういうことです。

さて「税と財政政策」で何が起こったか?パソコンの生産に向けられていた国内生産力を橋の生産に組み替えた事になるのです。このような生産力の組み換えが「税と財政政策」の実際です。税を単なるカネの収支として考えるのではなく、生産力の徴収と再分配(=組み換え)として捕らえる事により、実物経済をふまえた財源についての思考方法を身に着けることが可能になると考えます。

つまり、増税により特定の分野の財源を確保するということは、ある分野に向けられていた生産力を減らして特定の分野に移し変える行為に過ぎないのです。本来あるべき財源の確保とは、限られた生産力の奪い合いではなく、生産力を増やすことによって行われるべきなのです。

若者の貧困化を防げ

生産力の再配分という視点からみると、消費税を増税して年金に回すということは、いままで若者世代の消費のために使われていた生産力を裂き、高齢者の消費のために生産力を使うということを意味します。これでは若者世代が貧困化するのは当然なのです。少子高齢化への対応が急務であり、そのためには若者の生活を安定化し、子育てのための十分な消費財を供給する必要があるにも関わらず、若者のために使われていた生産力を高齢者のために裂く事は極めて矛盾している。こんな不毛な政策をしていては、ますます少子高齢化に拍車がかかるのです。

高齢者の消費を維持するために若者世代の消費に使われていた生産力を裂くのではなく、デフレで余っている労働力を活用し、生産性の向上を図ること、すなわち雇用と資本装備率を最大化し、日本の生産力を極限まで高める事こそが高齢化対応の王道です。生産力を増やすことこそ高齢化対応なのです。その意味で、増税は邪道であり、知的怠慢にすぎません。

ゆえに、高齢化対応の最優先課題は「デフレ脱却」であり、そのためには通貨流通量の増大による潜在生産力、潜在成長力の活性化を図るべきなのです。失業者に仕事を与え、富を産み出すこと。企業の設備投資を高め、技術革新と機械化による生産性を高める事。現代の経済体制でそれらを可能にする唯一の方法が「潤沢な通貨供給」です(社会主義経済であれば国家が直接に生産力の配分をコントロールするので通貨増大政策は不要となるが、官僚にありがちな癒着や怠惰の問題が発生する)。

インフレになったとしても、日本が生産する富の量が増えるなら人々の暮らしは決して苦しくなりません。インフレは単なるモノの値段の問題であり、モノが値上がりしても人々の手にするおカネの量がそれを上回るだけ増えるなら何の問題も無いのです。日本の産み出す富の量が増え、富が市場経済を通じて公正に分配されるなら、カネの価値の大小など何の意味も持たないのです。

日本を破滅させる「消費税増税」を企む連中

「消費税増税」は潜在生産力や潜在成長力を潰し、少子高齢化を加速させ、国家を破綻させる最も危険な政策です。日本経済は、日銀による20年におよぶデフレ維持政策と財務省による計画的増税という断崖絶壁に追い込まれています。そして今まさに野田増税内閣が日本を崖から突き落とそうとしているのです。

2012年2月5日日曜日

財政収支より富の生産を重視すべき

おカネの収支とは帳簿の帳尻に過ぎません。帳尻を合わせたからといって経済が良くなる事にはならないのです。その典型が、カネがカネを生む「マネーゲーム」です。マネーゲームという手段でも帳簿上は利益がどんどん生まれて収支がバラ色のように良くなります。しかしその実態は資産価格の上昇を背景とした資産売買の繰り返しによって通貨が膨張するばかりで、何らかの富を産み出しているわけではありません。それでも収支は良くなる。つまり世の中のカネが膨張すれば収支は良くなり、カネが収縮すれば収支が悪化する。つまり収支とは富の生産とは無関係な「帳尻あわせ」に過ぎないのです。

従って私たちが重視すべきは「富の生産と分配」であり、おカネはその最大化のために利用されるべきものです。つまりおカネの収支に振り回されるのは本末転倒なのです。収支に振り回されるのは経理=財務省の性癖です。誰でもわかることですが、企業の経営を経理がリードすれば企業は業績悪化で破産します。国家の運営も財務省がリードすれば経済衰退で破産します。(注:上記の分配とは再分配の事ではありません、市場における分配機能の事です。市場の分配機能の不全こそがデフレです。)

収支は「帳尻あわせ」すればよい

収支を神聖化する事は本末転用です。本質は「富の生産と分配」です。ですから富の生産と分配がうまく機能するなら、収支は帳尻あわせで問題ないのです。例えばプライマリーバランス(入ってくるカネと出ていくカネのバランス)の黒字化について考えてみましょう。税収は名目GDPに比例して増大しますから、名目経済成長率を高める事で税収は増大し、プライマリーバランスの黒字化が可能となります。名目成長率は実質成長率+インフレ率ですから、経済をインフレ化することでプライマリーバランスは確実に黒字化します。5%の名目成長率で黒字化すると言われていますから、それは現在の実質成長率2%とマイルドな3%程度の物価上昇の合計により達成可能です。インフレ化は通貨供給(特に市場への直接投入による需要増が効果的)で簡単に達成可能です。ところがこれを強力に否定する勢力が存在します。通貨供給で名目成長率を高める事を「帳尻合わせである」と否定する人々です。しかしこれは無意味な視点です。帳尻あわせが経済にプラスの効果があるならば、むしろ積極的に帳尻あわせを行うべきです。道徳心に囚われる必要はありません。本質は「富の生産と分配」です。より多くの富が産み出され、より多くの人に分配されるなら、帳尻など合わせるだけで良いのです。

ところが日銀はインフレ化を忌み嫌っています。通貨の価値を維持する事に固執しているからです。しかし日銀が通貨の価値を維持する事に固執するがゆえに、日本だけが世界でも例の無い長期デフレに沈んだままであり、これが財政健全化の大きな阻害要因となっています。通貨の積極的な投入により富の生産と分配が増えるのであれば、それに伴うインフレは歓迎すべき現象ですが、日銀はインフレを警戒するばかりで「富の生産と分配」を無視した政策を続けています。

マクロ経済はカネの収支ありきではない

おカネの収支は富を産み出すものではありません。つまり、おカネの収支で富を考える事はナンセンスなのです。社会保障は収支が合えば実現するのか?答えはNOです。より多くの富を産み出すことが社会保障を実現するのです。ですから、まずは生産と分配を最大化するにはどうすべきかを考え、次に、その実現のためにカネの収支をどうすべきかを考えるという順番でなければなりません。最初に収支を合わせることを考えても無意味なのです。

もちろん民間企業はカネの収支を考えなければ即倒産です。民間企業はミクロの経済に立脚しているからです。ところが政府はマクロの経済に立脚しています。ミクロの経済ではおカネの収入と支出、つまりおカネの流れは一方通行です。しかしマクロの経済は循環するおカネの流れに乗っているため、支出は収入となり、収入が支出となるのです。つまりマクロ経済はフィードバック・システムであり、マクロにおけるおカネの収支とミクロにおけるおカネの収支は同じ数字であっても、そこに示される意味が異なるのです。

ミクロ経済とマクロ経済における収支を考える際の決定的な違いは、マクロ経済には通貨量のコントロールという視点があることです。そしてそれは国民の主権なのです。

おカネとは何かを国民が問うべき時代

巷には金融関連の記事が溢れ、素人もネットで投機に参加するような時代にあっても、おカネの本質を正しく知る人はほとんど居ません。社会に氾濫している情報は、人々のカネへの欲望を高めるための「カネの増やし方」ばかりであり、人々の経済活動におけるおカネの持つ本当の意味を問うものは何一つ無い。これでは国民は一生をカネに振り回され、収支という呪いに縛られて終わるだけである。

私たち国民一人一人が額に汗して働き、富を産み出し、それを互いに分配するために、おカネとはどのようにあるべきなのか?マスコミが絶対に触れること無い、この根本的な問題に私たち国民は切り込んでいく必要がある。世界がマネーゲームに振り回されて破綻した今、おカネを問い直す時代になったのだと思います。